南方神社由緒
「御祭神 建御名方命・八坂刀売命
例祭日 四月二十八日・十月二十八日
現等級 七級社(旧村社}
由緒
創建の年代はっきりしないが『三国名勝図会』によれば『諏訪上下大明神社』とあり、長野県の諏訪大社から古い昔勧請したものである。
初めは『諏訪神社』と呼ばれ、いつ頃からなぜ『南方神社』になったのかわからない。
文禄元年(1592年)朝鮮の役に島津義久公(義弘の兄)が肥前名護屋に赴かれる途中、当社に詣でて順風を祈り、神楽を奏して法楽のために和歌一首を詠まれたという
夕涼み御山おろしにさそわれて
つなぎし船の出つるみなと江
■明治四十四年六月に無格社山神社を、同四十五年七月に無格社岩水神社を合祀した。
■昭和三年に社殿が古びたために上名全域の氏子の寄付金により大修築された。
■昭和四十六年八月の十九号台風で御神殿が損壊していたのを、ようやく同五十二年夏に再建造営された。
■昭和五十四年八月五日、戦後とだえていた夏祭りが盛大に行われた。」 |