旧増田家住宅

2013.06.30

薩摩川内市入来町浦之名




旧増田家住宅
「旧増田家住宅は、明治二年(1869)の廃仏毀釈で廃寺になった延命院の跡地の一部に建てられたと思われ、敷地入口には、明治六年の石敢当が据えられていることから、母屋はこの頃の建築と推定されます。敷地には、母屋のほかに、石蔵と浴室便所、洗い場が建てられています。
 旧増田家住宅は、薩摩地方の武家住宅である別棟型民家としての特徴を有しており、入来麓で唯一、棟を直行させていることや縁を切って玄関を設けていることなど古い形式が残されています。
 平成二十二年度からの三カ年かけて実施した保存修理工事では、母屋に当初は茅葺屋根であったことを示す痕跡が確認されたため、修理前の瓦葺から茅葺に復原しました。なお、今回の保存修理工事では、石蔵一階に残る大正七年四月竣工の刻銘などから、敷地内にすべての建物が揃う大正七年から大正十二年までを復原整備年代としています。」
旧増田家住宅を訪ねました

西側

北西側

洗い場
「洗い場は、基礎が石で造られており、入来麓ではこの様式は唯一です。清色城跡の土居からの湧水が多く、水神様のある場所から竹で水を引いていました。」
洗い場内部

石蔵
「石造文化は、鹿児島の特徴でもあります。『大正七年四月竣工』の銘を一階基礎柱に確認できます。敷地入口(東)から見ると三階建てに見え、非常に珍しい造りになっていますが、母屋側(西)から見ると二階建てに見え、非常に珍しい造りになっています。一階は主に味噌や醤油などの貯蔵場所として使用されていました。」

地蔵
「昔からイボ地蔵として信仰され、廃仏毀釈の影響による損傷がなく完全な形で残されていますが、土台は別物と思われます。」