田の神様(たのかんさあ)
「田の神像は、旧薩摩藩領内だけに見られ、1500体以上見られます農耕や豊作の神様として、江戸時代の中頃の18世紀の初めから、農民や下級武士たちによって作られました。形は実に変化に富んでいますが、初めの頃は仏像や神像の姿でした。その後は次第に持ち物や表情も農民の姿の物も作られるようになりました。
田の神は、鹿児島弁で「タノカンサァ」と呼ばれ、決して崇ることをしない、豊作の神様として庶民に親しまれてきたのです。
この像が建てられた江戸時代には、山裾の豊富な湧き水を使った水田で米を作っていた。」
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