木像千手観音坐像 市指定有形文化財
「明徳元年(1390)に、入唐の志あって山川まで来た虎森和尚は、島津元久公の勧めにより、海雲山正龍寺を再興されました。また、虎森和尚は隠退後、ここ小田集落に宝鏡山大円寺を建てました。応永二十年(1413)に入定し、その灰塚や石塔が置かれたと言われています。
この木像は虎森和尚の作と伝えられ、大円寺に安置されていました。明治初年の廃仏毀釈にあたり、小田集落の住人吉富平兵衛(当時十六歳位)をはじめ有志十名ばかリで南迫田集落の光明寺近くの山中にかくしました。やがて役人に知られたため、仏像を救出して粟がらの中にかくすなどして、法難を免れました。
昭和四十三年に、木像の傷みがひどくなったため、信者の発願で堂宇を新たに建立し尊像も大修理されました。現在も『子安の観音』として住民たちの崇敬厚く、遠近から参拝がたえません。史的にも由緒深い観音像であり、工芸品としても優れているので、長く保存するため市文化財に指定しました。」
指宿市教育委員会 |