桂山寺跡仁王像
2013.05.18
日置市日吉町日置
桂山寺跡
「文禄四年(1595年)日置三代領主島津常久は、ここ霊徳寺を桂山寺と改め亡父忠隣の菩提寺とした。
忠隣は出水領主島津義虎の子で初代歳久の養子となったが日向の根白坂で羽柴秀長の軍と戦い戦死している。
正面小高い所に忠隣の暮があり、すぐ西隣に殉死した家臣三名の墓がある。
ここから約百メートル離れた西の山かげに島津家の暮地があり、そこに『お由良騒動』で切腹を命ぜられた赤山靱負の墓もある。」
平成12年8月
日置市教育委員会
桂山寺跡に一対の仁王像
背面
宝暦六年(1756)