大乗寺跡
「島津大中公(十五代貴久)の夫人雪窓の建立によるもので、開山は一岳等忍和尚である。
文禄四年島津常久は初代歳久の冥福を祈るため、ここを日置島津家の菩提寺にしたが、明治初年の廃仏毀釈の難に遭い廃寺となつた。
左右に仁王像を見て石段を上がると正面手前に初代歳久の墓があり、その左右や背後に歴代領主の墓が並んでいる。歳久の墓前にある石で刻んだ竜の手洗鉢は藤原久辰(赤山家祖)が元文二年(1737年)寄進したものである。のみ一本で作り上げたもので、そのできばえはすばらしい。その外、二、三の墓石に刻まれた紋様は彫りが深く曲線の流れが実にうつくしい。」
平成三年十一月
日吉町教育委員会 |