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「ここの石塔は、いずれも小型の五輪塔とその残欠である。 これは、戦国時代の武士の一団がこの地で、生存中の安穏と死後の極楽往生を願って自分たちの石塔を作って、自分たちで供養したものであるといわれている。 日本では、鎌倉時代から、このような供養が行なわれており、このようにして逆修供養をすると、大きな功徳があると考えられていた。これは、仏教思想によるものといわれ、いつ、どこの武士団が造立したものか、その中心人物は誰であったか、今のところ解明されていない。この石塔一つ一つの石質と型式を見ると造立は同時期ではないと考えられる。なお、この石塔群の中に軽石製のものが1基あるが、これが一番古い石塔だといわれている。」 標柱より
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