調所笑左衛門広郷・村田堂元甫阿弥の招墓
「調所笑左衛門は天保十年(1838)家老となるや、藩財政の立て直しを成功させた人物である。このころ行き詰っていた苗代川(現美山)の陶業と住民の生活を立て直すために、笑左衛門が苗代川に派遣したのが村田堂元甫阿弥である。
ニ人の名コンビにより打ち出された数々の施策が苗代川の人々を救った。たとえば南京焼、素焼彩色人形の奨励や肥前伝焼物窯の建設、他産地から技術者を呼び、陶工の技術向上を図るなどがそれである。また、婦女子には木綿織などの内職をさせ、新産業も起した。
この二基の招墓は、ニ人に感謝した苗代川の人々が嘉永元年(1848)に招魂墓として建てたものを現在地に移転したものである。」
日置市教育委員会 |