諏訪神社の由来
「天照大神日本国を建設統御されて出雲地方の大国主の命に対し国を献上する様申し入れたが次子建御名方の命は承諾されず力競べが始まり結局信州塩田の荘諏訪湖地方に追われてその地に止ゞまり給う 薩州島津の始祖忠久公は源頼朝公の庶子なり生母は丹後の局という 初め信州塩田の荘の地頭職に任官されその後薩摩入りされ八代久豊公のとき大国主命の次子建御名方の命八坂入姫命長子事代主の命奉祀され鳥居が三基建てられ薩摩各郷に諏訪大明神社を奉建し武勇の神として尊信せられる所以なり
この諏訪神社は約千年前建立され市来郷荘社として住民の尊信を集め島津家の信仰も厚く毎年奉幣使臣を遣わされ特に貴久公・重豪公の如きは数度にわたり治国平安子孫繁栄の祈願された由緒ある神社である」 |