稲荷神社 由緒
「島津忠久公の母である丹後の局が、強い風雨の中で産気づかれた際、摂州住吉大社にある稲荷神社の神の使いであるキツネが、灯りをともして出産を助けた。その御心霊の加護により誕生された霊験を偲び、薩摩守護職に任用された祈、創建されたと伝えられる。一説には承久三年(1221年)と言われ、鹿児島最古の稲荷神社で、稲荷信仰の発祥の地である。
代々島津家は当社を氏神として厚く尊崇された。なお誕生のみぎりの雨風は産後の不浄を流し、以来事に臨んで雨が降るのを『島津雨』と言って、吉兆と喜ぶことになった。
旧社地は国道三号線沿いで、今も一本鳥居が残っている。現鎮座地には天和三年(1683年)九月遷座された。地元市来郷の郷社として広く崇敬され、三月三日の御田埴祭には、世襲の親牛・子牛の田圃劇で社頭は賑わう。
平成二十六年十月由須原八幡神社を合祀して現在に至る。」
稲荷神社内の史跡群
「稲荷神社は島津家初代忠久公の母君丹後局によって、承久三年(1221)湯田の宮崎(原石油スタンド付近)に創建された。天和三年(1683)湯田の新田開発に際し、稲荷神社は天和三年に、別当寺の大明寺は貞享元年(1684)に現在の向湯田に遷された。宮崎の跡地には石の鳥居柱一本が田の中に残され、石の小祠(元稲荷)が置かれた。その後、国道三号の拡張工事により、石の小祠は稲荷神社の境内に遷された。また都市計画により、鳥居柱は国道脇に移された。
稲荷神社の境内には、仁王像をはじめ、日置市指定文化財が多く現存している。十月末頃、裏山の椎の木の根元には、国指定天然記念物であるヤッコソウが自生する。」
平成二十一年十一月建立 日置市教育委員会
仁王像(阿像・吽像)昭和49年指定
「仁王像には正徳五年(1715)と刻まれている。向かって右、阿像は2.34m、左、吽像は2.40mである。」 |