海蔵院跡仁王像

2016.05.14

日置市吹上町湯之浦




島津日新公学問所跡「海蔵院」跡(如意山願成就寺)
「海蔵院は真言宗の寺でした。応永5(1398)年伊作島津家4代久義のとき造られ開山以降40代まで続きましたが明治の廃仏毀釈により廃寺になりました。明応7(1498)年菊三郎(日新公の幼名)は祖父久逸夫婦と母常盤のすすめにより、7歳から15歳までここで8代住職頼増の教えを受けたと伝えられています。なお廃仏毀釈により散乱埋没していた五輪塔・宝筐印塔・月輪塔など70数基の石塔は近年復元整備されました。これらは9代をはじめとする多くの住職のものであると考えられています。」
平成8年10月 日置市教育委員会
鳥居前に一対の仁王像

阿形

吽形

背面

東へ進むと海蔵院跡の案内板

海蔵院墓石群

さらに東には南方神社
南方神社(諏訪神社)
「南方神社は事代主命、建御名方命ほか7柱を祭神とし、鹿児島5社の第一で島津氏の氏神として崇敬された。伊作島津氏初代の頃、諏訪大明神として野首口に祭られていたが、元亨4(1324)年の下地中分によって小牧山に移された。
 明治の末頃ふもとの菅原神社、入来の鎮守神社、和田の新宮神社、住吉神社、竜之瀬の大山積神社をあわせ祭った。8月28日(正祭)には伊作太鼓踊が奉納される。」

平成4年8月 日置市教育委員会


入口の石祠

中には不動明王

社殿