大野嶽神社
「創建は不明であるが、権現堂槌鐘が永仁五年(1297)に建立されているので、それ以前であろう。
田心姫命・熊野大隅命・活津彦根命を祭神としている。寛政年間(1789〜1801)社殿が焼失したときに、地頭島津矢柄が神鏡三面・仏像三体(阿弥陀・薬師・観音)を寄進した。社殿は東向きの大社造りで、境内に古井戸があり、鳥居には仁王像と狛犬が立てられていた。鳥居仁王像・唐獅子の遺構が現存していて、市の指定文化財となっている。仁王像は頭部がなく、腕も折られており廃仏毀釈の難を伝えている。昭和五十七年十月十九日、社殿に改築されて北向きとなった。」
大野嶽神社の仁王像一対 狛犬一対 鳥居一基 市指定有形文化財
「大野嶽神社の創建は不明ですが、昔は大野嶽権現社と呼ばれており、永仁5年(1297)に権現堂槌鍾が建立されたという記録が残っています。仁王像は、入野(開聞町)の安兵衛の作で元禄年間(1688〜1703)のもの、また狛犬は仁王像よりも古く(製作者不詳)、鳥居は安兵衛の弟子で脇浦(開聞町)の石工の作と伝えられています。明治のはじめの廃仏棄釈(仏教を排斥してお寺や仏像を破壊した)のときに、この仁王像一体の頭部と腕が破壊されました。神仏混淆(神と仏を区別せずに礼拝、信仰すること)の歴史を知る上で、また芸術的にも価値の高い文化財です。」
昭和62年10月5日指定
南九州市教育委員会 |