良清軒跡古石塔群
「良清軒は長能寺の末寺(禅寺〜曹洞宗)である。 寺跡には肝付氏の宝きょう印塔・五輪塔・飫肥塔・地蔵尊・万霊塔などがある。 苔むしたこれらの石塔は、古くから肝付氏の墓地であったことを物語る。 良清軒の対岸には、求摩陣(別名下し丸の陣)、北側には御幣園城(別名大脇城)があり、永正3年(1506)、11代島津忠昌が高山城攻めをしたとき、この一帯で激しい攻防がくり返され、多くの戦死者が出たと伝えられる。 良清軒にも戦死者を葬った塚があり、タブの木が植えられている。 江戸時代に鎮魂の万霊塔が建立された。 西側の台地は軍原(いくさばい)といい塚のかたわらに、永禄3年の一千部経碑がある。 近くの志賀下には観音像、南方の水源地近くに熊野神社がある。」 高山町教育委員会 |