薩摩町
道中で見たもの
長野金山のご案内

「長野金山が盛んな頃は、この坑道は遠く横川町山ケ野の地底までも通じ六番坑道と呼ばれ、途中には坑内事務所、コンプレッサー機械室、火薬庫、五百尺(165m)竪坑(エレベーター)や、斜坑巻上げ場、上坑道からの鉱石落し口などがあって、主に運搬や工夫の出入り口であった。
この坑内には、金鉱脈を追って掘られた坑道が、「クモ」の巣のようにつながっていた。金山は300年余り続いた。」

薩摩町教育委員会
金山発見者 内山与右衛門の墓
下丁場磨崖仏

薩摩郡薩摩町永野
別府原(びゅうばる)古墳群
薩摩町永野


昭和44年3月、旧地主築川寛光氏が桑新植作業中一部露出を発見
昭和44年3月〜4月、県文化財専門員河口貞徳氏の指導で発掘
地下式板石積石室古墳
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一号古墳

 この古墳は完全な古墳で、この上に土をかぶせてあったものです。
 この板石の中に死体を葬り土をかぶせ板石で覆ってあります。死体はすでに土になり多数の副葬品、鉄剣などが残っております。これは元通り復元したものです。
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二号古墳

 円形にたてられたこの石を石室と呼びます。この中に死体を入れて、土をかぶせ石板で覆うのです。石板を取り除いて、石室が判るように残しました。石板だけでなく川石を使用しているのも、この古墳の特徴です。
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三号古墳

 長年の農作業で、上部の板石が取り除かれていました。この附近にない石石が畑の中から出るので不思議に思っていたということです。二号古墳を除いて、他の五基の古墳には鉄の剣と●が副葬されていました。
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四号古墳

 これは古墳のしくみを説明するため、石室内の断面を、よくわかるようにあらわしたものです。屍のまわりに板石をくずれないように、よく積み重ねられています。又、川石を使ったものもあります。
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五号古墳

 上部が破壊されているのは農作業中に石に鍬があたったので、そのつど取り除いた為です。石室の上に一番最初にのせた石は底部を土の中に掘りこんでいます。それがまわりのくぼんだ所です。
 この古墳からも数多くの鉄剣が出ました。
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六号古墳

 六号古墳は五号古墳に比較して深い所にあったため、破壊を免れました。
 この附近一帯は古代人の住居地であり、墳墓の地でもあったのでしょう。
 今でも弥生式土器の破片等が発見されます。お互い大切に保存しましょう。
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長福寺跡古石塔群

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