肆部合(しぶあい)の板碑
「『板碑』は、五輪塔(ごりんとう)・宝筐印塔(ほうきょういんとう)とともに中世に盛んに作られた供養塔で、中世の歴史や社会を研究する上で重要な資料です。
死者の追善供養(順修)や死後の安楽=極楽往生(逆修)を念じて建てられたもので、発生の起源は、いつ死ぬか分からない戦国の世に生きた関東武士達によって生まれ、全国に広まったものといわれます。
基本的な構造は、板状に加工した石材に、梵字(ぼんじ)や被供養者名、供養年月日、供養内容等を刻んだものが多く、頭部は山形で、その下部に二条線や切込みを施し、主体部と区別されています。
『肆部合の板碑』は3基が確認され、うち1基は上部だけが残り、他の2基には梵字が刻まれています。
最も大きいものは、高さ268cm・幅34.5cm・厚さ24.5cmあり市内最大の板碑です。
2基のうち1基には大日如来を示す『バン』の梵字が、他の1基には薬師如来を示す『バイ』の梵字が刻まれています。
薬師如来の板碑の下部には『暦応四年十月廿六日西念』(1341年)の刻字があります。
地元ではこの板碑付近を『キモイドン』と呼び、昭和26年頃まで近くには大きなタブの木が立っていたそうです。」
志布志市教育委員会 |