米山薬師とホソン神サァ
「帖佐で名所は米山薬師、前は白帆の走り船の里謡(りよう)で名高い米山薬師。
文明年中、帖佐を治めていた豊州(ほうしゅう)家初代島津季久の四男守興(もりおき)は、小さい頃から仏への信仰が篤く、緒国を巡礼して、遠い越後の米山薬師に百日間参籠(さんろう)し、不思議な旅の僧から瓜2つの木彫の薬師如来像を貰い受け、帖佐に持ち特り、父と相談して越後の薬師によく似た小高い丘にお堂を建立して薬師如来像を祭ることにした。
以後米山薬師と称し、一帯の地名も米山と呼ばれるようになり、守興は起宗(きそう)和尚と名を改め仏教を人々に広め大変親しまれた。
明治2年の廃仏毀釈により薬師堂も破壊されたが、後に米山神社として再興され、神仏習合の米山薬師として崇拝されている。
昔、疫病として恐れられた疱瘡が流行したときに、後方の井戸から湧き出る白濁の水がよく効くと云われ、たくさんの参拝客でにぎわい『ホソン神サァ』としても有名になった。」 |