石橋巡り
(2004年5月23日)

2.道中で見たもの



1.東京



特別史跡及び特別名勝 小石川後楽園

「後楽園」は、寛永6年(1629)2月1日常陸水戸藩初代藩主徳川頼房が幕府から76,689坪(253,500m2)の土地を拝領し、そこに屋敷を設けて設けて上屋敷(明暦の大火以前は中屋敷)とした小石川邸の附属庭園である。
 庭園は頼房が京都から徳大寺左兵衛を招き作庭てしたともいわれており、江戸時代初期に始まった廻遊式庭園の、江戸における先駆的な事例であり、江戸の風土と大名の生活様式とが関わりあって発達した「大名庭園」の原点に位置する庭園である。「後楽園」の園名は、2代藩主光圀の時代に、宋の笵希文(仲淹)が記した「岳陽楼記」にある「其必曰先天下之憂而憂、後天下之樂而樂歟(其れ必ず天下之憂に先ちて憂へ、天下の樂に後れて樂しむと曰はんか)」のいわゆる「先憂後樂」から引用されたものである。
 大正12年(1923)3月7日当時の史蹟名勝天然記念物保存法に基づき内務大臣により京都の西芳寺庭園や天龍寺庭園とともに史蹟及び名勝に指定された。更に昭和27年3月29日付で文化財保護法に基づき文部大臣により京都の慈照寺(銀閣寺)庭園や醍醐寺三宝院庭園などと共に庭園の国宝ともいうべき「特別史跡及び特別名勝」に指定された。」









日本国道路元標(Zero Milestone in Japan)
 「日本橋は1603年に創架され、江戸幕府により五街道の起点として定められました。現在の日本橋は1911年に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、四隅の親柱の銘板に刻まれた「日本橋」および「にほんはし」の文字は最後の将軍・徳川慶喜公の揮毫によるものです。1972年、日本橋中央の「東京市道路元標」がこの広場に移設・保存されました。その据えられていた跡には、内閣総理大臣佐藤栄作氏(後にノーベル平和賞受賞)の揮毫による「日本国道路元標」が埋標されました。この複製も同時に制作・設置されたものです。東京市道路元標は、1999年に米寿を祝う日本橋とともに国の重要文化財に指定されています。」
一石橋 常盤橋と日本橋の間に架かっています

「一石橋の名前の由来は面白い話です。その昔、橋の南北に後藤氏両家の宅があり、五斗と五斗で合わせて一石と名づけられたとのことで、川柳にも「屁のような由来一石橋のなり」と詠われています。
この橋の西詰に残っている 「迷い子の志るべ」 は、安政4年(1875年)に建てられたもので、江戸時代の告知板、迷い子探しの伝言板でした。右側には 「志(し)らする方」 、左側には 「たずぬる方」 と彫ってあります。」





日本銀行

常磐橋の上から
常磐橋のたもとの 「常盤橋公園」 には、高さ4メートルの 「石塁」 が保存され、江戸城を偲ばせています。




左手:内桜田門(桔梗門)




右手:大手門




東京の雀は人なつこかった。




皇居内掘には大きなスッポン?が泳いでいました。
鳩とツーショット
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