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この時季、アザミが満開です。 |
| キショウブ おたまや公園内 |
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市用横穴古墳群 市指定史跡 「市用平園天満社横の岩壁にある横穴古墳群は、古墳時代後期六世紀末頃のものと考えられています。 天満社自体は、横穴古墳群よりかなり後にできたもので、古墳群と直接の関わりはありません。 古墳は、調査によって11基が確認されていますが、いくつかは崩壊しており明らかに横穴と識別できるのは5基ほどです。 羨門(せんもん:墓の入口)上部に切妻屋根形の掘り込みのある横穴古墳が1基見られますが、これは後世に施されたものとされています。 羨門入口は、およそ60cm四方ですが遺骸を収める玄室内部には何も残されていません。おそらく盗掘などによるものと思われます。 この横穴古墳は、通常の古墳と比べると簡単な造りで、埋葬された人々は、竹田市菅生にある七ツ森古墳群のように強力な権力者ではなく村や集落の有力者程度の地位の人たちだったと考えられます。 市内には下木石仏、上坂田の間崖仏と素朴ではあるが、心を動かされる遺産があるのは、この地域の文化を考える上でなおざりにできないといえるでしょう。」 歴史と文化を考える会 |
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キショウブ 竹田市 城原神社の近く |
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| 2径間桁橋 竹田市 明治小から400m先左下 |
上部はコンクリートで拡幅してあります。 3本の桁は確認できますが、あと2本は崩壊したのでしょうか、木材とコンクリートで補強してあります。 |
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| 日本一の大きさを誇る普光寺の磨崖仏 「正面の大不動明王は、高さが11.3mで磨崖仏(浮き彫り)の中では日本最大です。左に制多迦(せいたか)童子、右に矜褐羅(こんがら) 童子(いずれも5.5m)の二童子を従え、鎌倉期の作と言われています。不動は右手に剣、左手に取り縄盤上にあって体から猛炎を放ち、仏法を強力に広めようと、憤怒の形相をして睨んでいます。雨に打たれると光背火炎がくっきりと浮き出て、一層鋭さが増し威厳が出てきます。右の龕には3mの高さの多聞天があり、武具を身につけ塔と宝棒を持った厳めしい姿で睨んでいます。左の龕には高さ1m余りの磨崖仏が四体あり、左から阿弥陀如来、小矜褐羅童子、小不動明王、小制多迦童子と並んでいます。合計八体の磨崖仏は、いずれも同時期の作で、県指定の文化財となっています。」 朝地町 |
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| 竹田市その2〜朝地町〜大野町〜日向市へ |