石橋巡り
(2004年12月11日)

1.熊本市〜植木町
(中松尾橋・大井手橋・豊岡の眼鏡橋・滴水橋・正院めがね橋・三十六の眼鏡橋)



2.山鹿市 3.鹿北町
4.菊水町〜菊鹿町 5.道中で見たもの



中松尾橋 熊本市南熊本5丁目

橋長:7.5m
橋幅:1.7m
径間:6.7m
拱矢:
架設:江戸末期




南熊本駅の北西250m寺田児童公園内にあります。
大井手橋 熊本市九品寺1丁目

橋長:6.0m
橋幅:6.3m
径間:
拱矢:
架設:明治35年(1902)




国道3号線、水道町交差点から県道28号線で水前寺公園方面へ。
500m先九品寺1丁目交差点を右折、130m先RKK会館前右折、190m先に架かっています。
豊岡の眼鏡橋 鹿本郡植木町大字豊岡
植木町指定文化財

滑川
橋長:12.8m
橋幅:4.3m
径間:11.2m
拱矢:
環厚:0.45m
架設:享和2年(1802)

国道3号線植木町舞尾から国道208号線へ。
6.7Km先公園入口信号左折。100m先右手にあります。



「この石造眼鏡橋は両脚の幅11.2m、高さ4.4mある。輪石の厚みは45cmで、輪石と輪石を楔石で継いだ単一アーチ橋である。最後の行に、享和壬戌二年十月吉日の陰刻がある。年号のはっきりしている石造眼鏡橋では、熊本県内で最古の橋といわれている。
 享和二年は1802年であるから、江戸時代好期にあたる。
 この橋を渡り、川沿いに添って旧道があり、国道208号線へ出た所に「田原坂攻撃官軍第一線陣地跡」の石標が建っている。官軍は田原坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行った。
 川の名は滑川といわれ、この眼鏡橋は左記有志の篤志により架橋されたと推定される。

上流側の楔石に鈴麦村田原村庄屋彦次郎、正院会所詰弥兵衛、
   右同総代寿三郎、右同甚兵衛、右同良助
下流側の楔石に山本郡口川、内田手永月田村、石工理左衛門、
   右同吟右衛門、右同次平、右同惣八、正院手永円台寺村、右同大平、南関手永関東村、大工嘉右衛門とある。」

植木町教育委員会





滴水(たるみず)橋 植木町滴水

木葉川
橋長:6.3m
橋幅:m
径間:3.2m
拱矢:2.6m
架設:大正時代




国道3号線・国道208号線交差点から国道3号線を600m南下、2つ目の信号を右折。
700m先、桜井小を過ぎて右折、800m先に架かっています。
正院めがね橋 鹿本郡植木町大字小野字七国

橋長:5.5m
橋幅:2.1m
径間:4.8m
拱矢:3.3m
架設:安政3年(1856)

「安政三年(1856年)に正院川に架設されていた橋であるが、河川工事により昭和52年3月に、正院より現在地に移転して復元されている凝灰岩製。単一のアーチ橋である。幅2.1m。両脚間の幅4.8m、水面までの高さ2mである。楔石に陰刻銘がある。」
植木町


植木町役場前から町道を東へ2.3Km。左手、小野泉水公園内にあります。




三十六の眼鏡橋 植木町清水

橋長:m
橋幅:m
径間:m
拱矢:m
架設:嘉永3年(1850)

鹿央町の千田村と植木町の山本村境に架かっていたもので、三十六は小字名だそうです。


植木町役場前から国道3号線を900m北上、県道3号線へ左折。4Km先右下天満宮境内にあります。




2.山鹿市へ
石橋の由来
 「この石橋は、幕末の嘉永3年(1850)山本郡下大清水村庄屋畠山理左衛門、大清水村庄屋服部甚之助、玉名郡広村庄屋木村茂四郎、江藤又左衛門によって、村内を流れる大清水川に架橋されたもので、熊本新一丁目を起点とし、植木町味取、内村、三十六を経て本橋を渡り、山鹿町、南関町を経由して筑後、筑前、豊前小倉に至る九州屈指の入道を誇り、豊前街道の呼称で、参勤交代の道として利用された。築造以来約130年間その恩恵は実に多大なものがあった。
 昭和57年の水害を契機として、今般千田川河川災害関連事業により、やむなく撤去せざるを得なくなったが、先人の偉業を偲ぶためにぜひ保存したいとの強い要望があり、県の協力を得てここに復元移築したものである。
昭和59年3月」

植木町教育委員会