石橋巡り
(2004年12月5日)

4.北有馬町〜不知火町
(元平橋・坂下橋・面無橋・西平橋・小谷橋・ショウベ川橋・上長谷平橋・鴨籠橋)



1.上天草市〜加津佐町〜口之津町

2.加津佐町〜小浜町〜千々石町

3.諫早市〜千々石町〜北有馬町

5.道中で見たもの




元平橋 北有馬町坂上下名田中

橋長:18.7m
橋幅:2.8m
径間:
拱矢:
環厚:
架設:大正10年(1921)




荒田橋から県道30号線を100m南下すると、坂下小学校入り口に「元平橋・田中橋入り口」の標識があります。そこを下ってT字路に再び「元平橋・田中橋」の標識がありますのでそれにしたがって下さい。
坂下橋 北有馬町上下名坂下桶口

橋長:20.2m
橋幅:5.1m
径間:
拱矢:
環厚:
架設:明治28年




元平橋から県道30号線へ出て、700m南下、大丸バス停手前、案内標識があります。右下に架かっています。
面無(おもなし)橋 南高来郡北有馬町今福名 面無

橋長:12.0m
橋幅:3.4m
径間:3.9m
拱矢:3.0m
環厚:0.43〜0.5m
架設:江戸末期〜明治初期




北有馬町役場から県道30号線を600m西進、県道217号線へ右折。1.2Km先右手案内板より下ったところ。

「北有馬町には島原半島のアーチ式石橋の大半が集中しており、全32基の内、12基が北有馬町に現存している。中でも面無橋はアーチ式石橋の技術面から見ると、特異な石橋である。
 アーチ式石橋は全部の石が密着して少しもぐらつかないように頑丈に組まないと、車の振動や地震で崩れるため、自然石をアーチに使用しないのが通常である。わが国最高の技術を持った熊本の岩永三五郎のアーチ式石橋は全て切石で締め、自然石は崩れても修理しやすいため壁石にだけ使った工法を採用している。このような自然石のみを使った工法を使いこなし、130年以上も崩れない自然石積みの技術は、土木技術上極めて貴重である。さらに大雨で石橋が流されないように、石橋すぐ下の川床を60センチほど掘り下げ、流速を速めている。堰き止めた水の流速を増すための堰落とし(せきおとし)が、洪水から面無橋を守ってきたのである。
 自然石をアーチに使った石橋は長崎市内にも4基あったが、昭和57年の長崎大水害で4基ともながれたため、日本国内に残る自然石のアーチ式石橋は、面無橋ただ1つとなった。
長さ12.0m 径間4.7m 橋幅3.4m
構築年代江戸末期」

北有馬町





西平橋 北有馬町西行寺名西平

橋長:28.5m
橋幅:5.0m
径間:5.0m
拱矢:2.3m
環厚:0.37m
架設:明治30年




北有馬町役場から県道30号線を1.5Km西に西正寺派出所があります。そこからさらに150m先を右折、150m先を右折、200m先に架かっています。
小谷橋 北有馬町折木名小谷

橋長:3.0m
橋幅:4.0m
径間:2.0m
拱矢:0.9m
環厚:0.28〜0.37m
架設:不詳




小谷にはこの他2基の石橋があったそうですが、河川工事で撤去されたそうです。

県道30号線、西正寺派出所のすぐ西側に酒屋さんがあります。そこから町道へ進みます。900m先折木方面標識に従って右折、100m先広い道路へ左折。
1.7Km先、折木・諏訪の池方面へ右折、100m先右手に諏訪の池方面の標識がありますので、そこから小道を徒歩で200mくらい上がったところに架かっています。
ショウベ川橋 北有馬町折木名折木

橋長:15.0m
橋幅:1.8m
径間:3.9m
拱矢:2.2m
環厚:0.3m〜0.45m
架設:明治期




小谷橋から町道へ戻り600m東に折木公民館があります。その先を左折、180m先農道へ右折、下ったところに架かっています。
上長平谷橋 北有馬町折木名長平谷

橋長:6.8m
橋幅:3.0m
径間:3.7m
拱矢:1.95m
環厚:0.28m〜0.4m
架設:明治末期




折木公民館のすぐ東から北へ、約900m先T字路を左折。
1Km先に架かっています。
鴨籠(かもこ)橋 宇土郡不知火町鴨籠

橋長:7.0m
架設:大正期




5.道中で見たものへ
国道266号線沿い不知火小から西へ200m、お店の横の狭い道へ右折。1Km先左折したところに架かっています。