石橋巡り
(2004年12月4日)

2.加津佐町〜小浜町〜千々石町
(八畝間橋・向田橋・向田南橋・下崎谷橋・上宮原の橋・崎谷の橋・北串の眼鏡橋・金濱眼鏡橋・大門橋・古松橋)



1.上天草市〜加津佐町〜口之津町

3.諫早市〜千々石町〜北有馬町

4.北有馬町〜不知火町

5.道中で見たもの



八畝間(やぜま)橋 加津佐町宮原名内野

橋長:7.0m
橋幅:2.5m
径間:4.4m
拱矢:1.76m
環厚:0.37〜0.44m
架設:明治




橋頂部はこれでいいのだろうかと思うくらいの自然石です。

中尾橋から国道389号線へ戻り2.1Km北上、広域農道へ左折。550m先(途中内野大橋を渡り)内野方面へ右折、1Km先に架かっています。
向田橋 加津佐町上宮原名

橋長:10.2m
橋幅:3.5m
径間:6.5m
拱矢:3.4m
環厚:0.38m
架設:大正期




八畝間橋から国道389号線へ戻り800m北上、出水バス停の先、「小山産業」看板から右折、すぐ三叉路を口之津港方面へ300m先、民家を過ぎたところに架かっています。
向田南橋 加津佐町上宮原名

向田橋から450m南下したところにあります。
ほとんど埋もれています。輪石が2〜3個確認できるだけです。





下崎谷橋 加津佐町上宮原名

橋長:6.0m
橋幅:2.5m
径間:3.55m
拱矢:1.55m
環厚:0.3〜0.37m
架設:明治期




向田南橋から、来た道を三叉路まで戻り、そこからさらに諏訪の池方面へ400m北上したところに架かっています。
上宮原の橋 加津佐町上宮原名

橋長:7.0m
橋幅:2.5m
径間:3.5m
拱矢:1.8m
環厚:0.3m
架設:明治期




下崎谷橋からさらに200m北上したところに架かっています。
崎谷の橋 加津佐町崎谷

橋長:4.8m
橋幅:3.6m
径間:2.9m
拱矢:1.26m
環厚:0.35m
架設:昭和初期




上宮原の橋から国道389号線へ戻り、700m先左折。道なりに600m先右手上に見えます。
北串の眼鏡橋 小浜町 

橋長:14.5m
橋幅:3.8m
径間:4.7m
拱矢:2.6m
環厚:約0.5m
架設:明治中期




この橋も橋頂部は自然石で、隙間だらけです。

国道389号線を北上、諏訪池から県道30号線へ。2.2Km先広域農道へ左折、山畑大橋を渡りすぐ左折、下ったところに架かっています。
金濱眼鏡橋 南高来郡小浜町

金濱川
橋長:14.5m
橋幅:3.6m
架設:弘化3年(1846)


県道30号線を北上し、国道251号線へ右折、すぐ左手に金濱眼鏡橋専用駐車場があります。

金濱眼鏡橋由来記
 「昔時、金濱川はしばしば氾濫し、洪水のたびに架橋は流失した。ために、人々は苦しみ、その復旧作業に難儀した。北串山の人、岡右衛門はこの窮状を見かね、石橋架橋によって人々の難を救わんと決意し、弘化三年(1846年)遂にこれを完成した。当時の架橋技術の最高を駆使したと言われる。
 爾来およそ150年、この石橋は、よく風雪に堪え、橋畔のアコウの樹とともに生きて、時代の流れを見守り続けてきた。
 しかしながら永い歳月の間に
石材は風化し、欄干や橋底は落ちるなどして、往年の面影を止めないまでに傷みが激しくなった。
 かつて、この石橋に通じる道路は「殿様道」とも称されて、藩政時代は重要な街道でもあった。平成の今日、生活道路としての意義は薄れたが、今、往年の金濱眼鏡橋を解体修理して平成金濱眼鏡橋を復元し、併せて河畔を整備する。
 そのゆえんとするものは何であるか。それは、一つには、このすぐれた文化財を永く児孫に伝え、その郷土愛の魂に培わんとするためである。
 平成5年(1993年)3月31日」

小浜町教育委員会





大門橋 千々石町

千々石川
橋長:14.3m
橋幅:4.0m
径間:
拱矢:
環厚:
架設:明治30年




国道57号線、千々石町で県道210号線へ。すぐ渡る橋の上流に架かっています。
古松橋 千々石町

下峯川
橋長:7.5m
橋幅:5.3m
径間:6.2m
拱矢:2.6m
環厚:0.48m
架設:江戸末期




3.諫早市〜千々石町〜北有馬町へ
千々石町役場前から国道389号線を1.3Km西進。橋を渡りすぐ左折。150m先に架かっています。