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| 八畝間(やぜま)橋 加津佐町宮原名内野 橋長:7.0m 橋幅:2.5m 径間:4.4m 拱矢:1.76m 環厚:0.37〜0.44m 架設:明治 |
橋頂部はこれでいいのだろうかと思うくらいの自然石です。 中尾橋から国道389号線へ戻り2.1Km北上、広域農道へ左折。550m先(途中内野大橋を渡り)内野方面へ右折、1Km先に架かっています。 |
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| 向田橋 加津佐町上宮原名 橋長:10.2m 橋幅:3.5m 径間:6.5m 拱矢:3.4m 環厚:0.38m 架設:大正期 |
八畝間橋から国道389号線へ戻り800m北上、出水バス停の先、「小山産業」看板から右折、すぐ三叉路を口之津港方面へ300m先、民家を過ぎたところに架かっています。 |
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| 向田橋から450m南下したところにあります。 ほとんど埋もれています。輪石が2〜3個確認できるだけです。 |
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| 下崎谷橋 加津佐町上宮原名 橋長:6.0m 橋幅:2.5m 径間:3.55m 拱矢:1.55m 環厚:0.3〜0.37m 架設:明治期 |
向田南橋から、来た道を三叉路まで戻り、そこからさらに諏訪の池方面へ400m北上したところに架かっています。 |
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| 上宮原の橋 加津佐町上宮原名 橋長:7.0m 橋幅:2.5m 径間:3.5m 拱矢:1.8m 環厚:0.3m 架設:明治期 |
下崎谷橋からさらに200m北上したところに架かっています。 |
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| 崎谷の橋 加津佐町崎谷 橋長:4.8m 橋幅:3.6m 径間:2.9m 拱矢:1.26m 環厚:0.35m 架設:昭和初期 |
上宮原の橋から国道389号線へ戻り、700m先左折。道なりに600m先右手上に見えます。 |
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| 北串の眼鏡橋 小浜町 橋長:14.5m 橋幅:3.8m 径間:4.7m 拱矢:2.6m 環厚:約0.5m 架設:明治中期 |
この橋も橋頂部は自然石で、隙間だらけです。 国道389号線を北上、諏訪池から県道30号線へ。2.2Km先広域農道へ左折、山畑大橋を渡りすぐ左折、下ったところに架かっています。 |
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| 金濱眼鏡橋 南高来郡小浜町 金濱川 橋長:14.5m 橋幅:3.6m 架設:弘化3年(1846) |
県道30号線を北上し、国道251号線へ右折、すぐ左手に金濱眼鏡橋専用駐車場があります。 金濱眼鏡橋由来記 「昔時、金濱川はしばしば氾濫し、洪水のたびに架橋は流失した。ために、人々は苦しみ、その復旧作業に難儀した。北串山の人、岡右衛門はこの窮状を見かね、石橋架橋によって人々の難を救わんと決意し、弘化三年(1846年)遂にこれを完成した。当時の架橋技術の最高を駆使したと言われる。 爾来およそ150年、この石橋は、よく風雪に堪え、橋畔のアコウの樹とともに生きて、時代の流れを見守り続けてきた。 しかしながら永い歳月の間に 石材は風化し、欄干や橋底は落ちるなどして、往年の面影を止めないまでに傷みが激しくなった。 かつて、この石橋に通じる道路は「殿様道」とも称されて、藩政時代は重要な街道でもあった。平成の今日、生活道路としての意義は薄れたが、今、往年の金濱眼鏡橋を解体修理して平成金濱眼鏡橋を復元し、併せて河畔を整備する。 そのゆえんとするものは何であるか。それは、一つには、このすぐれた文化財を永く児孫に伝え、その郷土愛の魂に培わんとするためである。 平成5年(1993年)3月31日」 小浜町教育委員会 |
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| 大門橋 千々石町 千々石川 橋長:14.3m 橋幅:4.0m 径間: 拱矢: 環厚: 架設:明治30年 |
国道57号線、千々石町で県道210号線へ。すぐ渡る橋の上流に架かっています。 |
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| 古松橋 千々石町 下峯川 橋長:7.5m 橋幅:5.3m 径間:6.2m 拱矢:2.6m 環厚:0.48m 架設:江戸末期 3.諫早市〜千々石町〜北有馬町へ |
千々石町役場前から国道389号線を1.3Km西進。橋を渡りすぐ左折。150m先に架かっています。 |