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南州寺 鹿児島市 |
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| 宮崎田の神 県指定文化財 「場所 宮崎字山の上番地50 建立 享保17年(1732)2月19日 形態 高さ約70cm、僧の形で、右手にメシゲ、左手にスリコギを持ち、西向きに立っている。 田の神は金峰町内に20ほどあるが、これだけが昭和41年3月11日指定文化財になっている。わが国では昔から米を主食として、水田に稲を大事に育て、田の神を祭って、豊作と悪疫の退散、人々の幸福を祈ってきたのである。」 金峰町教育委員会 |
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川畑井堰 加世田市川畑 |
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武家屋敷・武家門・石橋 加世田市麓町 「島津の直轄地加世田郷一万三千石の中心であった麓地区には、別府城を取り巻くように、およそ二百数十軒の武家屋敷が並んでいた。 現在は、そのほとんどが改築・改造され、昔の姿を残すのは数軒となっているが、武家門などはかなり残されている。 水路に架かる石橋、石垣といぬまきの生け垣に映える格調高い武家門、玄関に通ずる直角に曲がった通路、目隠しの生け垣など当時の風情が偲ばれる。」 |
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| 仁王像 「この仁王像は日新寺の大門前にあったが、明治初年廃仏毀釈のとき左像をここに移した。右像は不明である。」 |
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六地蔵塔 県指定文化財 「島津忠良(日新公)は、島津実久の拠点である別府城を攻略して、三州統一の道を開いた。 この戦いは、両軍とも戦死者が多かった。忠良は、深くこれを哀れみ、天文9年(1540)六地蔵を建て、毎年敵味方の区別なく供養をした。 一切の罪も消えなむ弥陀地蔵 四十九の身の四十八願 という忠良の歌も刻んである。」 加世田市教育委員会 |
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| 田の神 加世田市津貫 「庚申供養として五人の青年が建てたもので、年代は不明。しきをかぶり、左手に椀、右手にめしげをかざし帯は前結びにしている。」 |
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| 単径間桁橋 加世田市津貫馬神 |
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