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| 鶴ケ原の景 玖珠町 |
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名勝耶馬渓(立羽田の景) 国指定名勝 「耶馬溪は、文政元年(1818)広島の文豪頼山陽が日田より山国町谷に入り、その奇巌奇勝の渓谷美を賞賛して耶馬渓図巻記に「耶馬渓山天下無」と詠い、ここから「耶馬溪」と名付けられたといわれている。この奇峰と呼ばれる独特のやまなみは地下深部のマグマなどの火成活動によってもたらされた岩石から作られている。その後、この奇岩秀峰や渓谷美から、大正12年3月に国の名勝として指定を受けた。 「名勝耶馬渓」は三市七町一村の広範囲に及び、地図を開 いてみると東西約40Km、南北約35Kmの中に指定地がある。それぞれの特色により代表的景観として六十六景が指定され、町内では立羽田の景のほかに十六の景が指定されている。立羽田の景は、天に向かって突き通すように起立する岩峰とその岩脚に点在する民家や田園風景がうまく調和し、ほっとするような自然景観である。」 玖珠町教育委員会 玖珠町文化財調査委員会 |
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猿飛甌穴群(国指定天然記念物) 「今から千万年以上昔、第三紀中新世のころ瀬戸内海と有明海はつながっていて、この地域は海底でした。そのころ筑紫山脈の南岩に近い海底の溶岩が裂か噴出して、変朽安山岩と呼ばれるものになり、その後、数次にわたる他の火山噴出物の堆積地殻の隆起や水による浸水等の家庭を経て、地表に露出してきました。それが今、眼の前にある多数の岩石です。 地質学の加藤博士は、これを溝辺式変朽安山岩と呼びました。この岩石は、中に含んだ礫とこれを含む溶岩の堅さが同じという特性をもっていることから、この岩のくぼみの礫が、水流によって回転し、長い年月をかけて、この川床に深い穴(甌穴)が造られていったのです。 このように、岩質・水量・流速と条件が揃った時にできる大変珍しい現象なので、国指定天然記念物に指定されました。 この岩の多くには金銀の鉱床がありましたので、地域一帯にはいくつかの金山が開かれていました。」 山国町教育委員会 |
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県道624号線沿いの紅葉 耶馬溪町 |
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