石橋巡り
(2004年11月13日〜14日)

6.道中で見たもの その1
(用作公園・丸山古墳石棺蓋・旧国鉄宮原線鉄道橋3基)
その2 その3



1.竹田市〜山国町 2.耶馬溪町〜本耶馬溪町 3.三光村
4.中津市〜宇佐市 5.院内町〜安心院町



もみじの名所用作(ゆうじゃく)公園
「用作」という」地名は、鎌倉時代に大友能直の八男能郷が志賀姓を名乗り、隣接地背子に地頭屋敷を構え、その所有する用作田がなまって伝わったものです。文禄3年(1594)中川秀成が岡藩主として入府し、岡藩が統治することになりました。
寛文4年(1664)藩主中川久清より岡藩第一家老中川平右衛門に参勤交代道に当たる重要な当地を与え、別荘地としました。中川平右衛門はこの地に書院造の屋敷を構え、全山楓と松を植え、心字池、丹字池を作り、さらには射撃場を作り洋風訓練の場としました。また岡城の表玄関として文人墨客の来訪も多くなり南画家「田能村竹田」や儒学者「頼山陽」も訪れ岡藩の御客屋としての役割も果たしました。
現在は町有地として、保存と活用に努めています。

朝地町








丸山古墳石棺蓋(通称銭蓋石)

「この丸山付近の丘陵地は生活を見下ろす位置にあり、一大古墳群を形成しているところから、ある時期かなりの村落が開けていたと思われる。
古墳の形成は完全ではないが、五世紀後半の帆立貝古墳の形成をふんでいる。
この屋根型石棺蓋は丸山古墳より100m東の位置にあるが、明治40年頃これを材料に記念碑を作る話がもち上がったが、地元の人々が丸山長者の伝説にまつわる遺産として、これに「丸山ノ銭蓋石古来久伝後世不可移動」と刻み現在地に保存するようになった。」

朝地町教育委員会



旧国鉄宮原線鉄道橋 国登録有形文化財

コンクリート橋ですが、遠目には石橋に見えました。
全部で7基あるそうです。X線照射で調べても鉄筋は使用されておらず、竹の骨組みの可能性が高いそうです。




熊本県小国町
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