石橋巡り
(2004年11月13日〜14日)

2.耶馬溪町〜本耶馬溪町
(一ツ戸橋・宮園奥山橋・雲八幡社参道橋・幸田橋・賀治耶橋・平田井路橋・蔭平神社参道橋)



1.竹田市〜山国町 3.三光村
4.中津市〜宇佐市 5.院内町〜安心院町
6.道中で見たものその1 その2 その3



一ツ戸(ひとつど)橋 耶馬溪町大字宮園一ツ戸 

一ツ戸川
橋長:5.7m
橋幅:3.9m
径間:4.7m
拱矢:2.3m
架設:明治38年




向うに見えるのが国道212号線です。ここに駐車してしばし考えていましたが、目標物は足下にありました。

国道212号線、山国町から町境のトンネルを出てすぐ左手、一ツ戸川に架かっています。





宮園奥山橋 耶馬溪町大字宮園 奥山


橋長:
橋幅:4.6m
径間:4.5m
拱矢:2.2m
架設:明治末




一ツ戸橋から国道212号線を1Km東進、左手広い駐車帯手前左手にあります。
雲八幡社参道橋 耶馬溪町宮園

旭川
橋長:4.1m
橋幅:3.0m
架設:安永10年(1781)
2径間桁橋




束石には「安永十年」と刻んであります。

雲八幡宮の沿革
 「境内を流れる旭川を数百メートル下った所に磐座がある。 「雲石」と呼ばれ大宝3年(703)、ここに神が出現し「雲の社」と尊んだ。天延元年(973)、小納言清原正高卿(都から当地に配流になった人物)が現在地に社殿を造営したという。
 友杉氏(中間氏)が地頭に任じられこの中間郷に一戸城を築いてからはその尊崇を受け、応仁3年(1469)には城主大蔵大夫が現宮司家の秋永氏を社司(宮司)に任じている。
 江戸時代になると細川忠興公、次いで小笠原氏歴代藩主、また元禄11年(1698)以後は幕府の天領となり、日田代官等の崇敬があった。」

耶馬溪町

宮園奥山橋から国道212号線を700m東進、左手に雲八幡社があります。









幸田(こうだ)橋 耶馬溪町大字金吉

幸田川
橋長:13.3m
橋幅:3.5m
径間:3.5m
拱矢:1.4m
架設:昭和30年
3連アーチ

橋高を抑えるために3連で作られたのでしょうか。

雲八幡社から国道212号線を1.1Km東進、下郷入口から県道702号線へ、300m先県道624号線へ。約3.9Km先(途中分岐は奥畑方面へ右折)に架かっています。




賀治耶(かじや)橋 耶馬溪町大字山移 持田

山移川
橋長:30.8m
橋幅:3.0m
径間:12.5m 11.7m
拱矢:4.0m
架設:大正13年
2連アーチ




幸田橋から県道624号線で県道28号線へ。(途中から新道を通り長いトンネルを抜けて下ると県道28号線へ出る)2.3Km北(山移小学校からは650m南)を右折したところに架かっています。
平田井路橋 耶馬溪町大字平田

橋長:2.5m
橋幅:1.8m
径間:2.0m
架設:安政4年(1857)




国道212号線、耶馬溪高校前から県道111号線へ。橋を渡り右折、300m左手城井八幡神社あり。裏手へ進むとサイクリングロードがあり、その手前に架かっています。
蔭平神社参道橋 本耶馬溪町 東屋形




国道212号線、青の洞門入口から600m北、県道44号線へ。
5.3Km先左カーブ右手に七所神社がある。そこからさらに1.7Km進むと、右下に見えます。





3.三光村へ