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| 早朝の霧島山 山之口町上森付近 雨の予報でしたが、霧島連山が姿を見せていました。 |
柿 柿が色づいてきました。 |
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野の石像 祁答院町 下手 タノカンサーでしょうか? |
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| 宇都石塔群 宇都六地蔵と石塔群 「石塔は全部で34基、そのうちの8基はもともとこの地にあったもので、他は字畠田の水田から出土したものを移したものである。 34基のうち宝塔的五輪塔として復元した14基の原型は宝塔として造立されたものと思われる。 石塔群の中央が六地蔵塔である。高さ30cmの基礎上面に「十六弁の反花」を彫り、高さ60cmの憧身正面に「奉造立六道主尊一躯」、右に「願主比丘寿元」、左に「永世七季申辰霜月廿四日」と彫ってあり、中台はなくなり、その上の六角龕部に6体の像形が彫ってある。 室町時代末期に六道に迷う亡者を救うために、僧寿元が建立したものである。 「宇都六地蔵塔」として昭和58年4月21日に町の文化財として指定された。」 祁答院町教育委員会 |
宇都六地蔵 |
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元村用水路に架かる橋3基 樋脇町町村子田付近 石造アーチ橋をコンクリートで巻いてあるものと思われます。 |
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| 牛鼻の逆修塔群 樋脇町牛鼻 「ここの石塔は、いずれも小型の五輪塔とその残欠である。 これは、戦国時代の武士の一団がこの地で、生存中の安穏と死後の極楽往生を願って自分たちの石塔を作って、自分たちで供養したものであるといわれている。 日本では、鎌倉時代から、このような供養が行なわれており、このようにして逆修供養をすると、大きな功徳があると考えられていた。これは、仏教思想によるものといわれ、いつ、どこの武士団が造立したものか、その中心人物は誰であったか、今のところ解明されていない。この石塔一つ一つの石質と型式を見ると造立は同時期ではないと考えられる。なお、この石塔群の中に軽石製のものが1基あるが、これが一番古い石塔だといわれている。」 標柱より |
阿弥陀殿の岩仏 樋脇町藤本 樋脇町指定文化財 「この岩仏は自然石の側面を彫って梵字や仏像・灯篭を彫り込んである。即ちこの岩全体が聖なる御仏体として村人の信仰を集めていたものであろう。このあたりを阿弥陀ケ段と名づけられたのも村人たちの厚い信仰を物語っている。 この岩仏の分身と伝えられる仏像が、ここから10キロ程離れた東市来町養母田代の東福誠氏の屋敷に祀られているが、その時の記録が一枚の板紙で残されている。 誠氏の祖先にあたる藤右衛門は五代以前の人で、享保元年(1716)に譲り受けているので、この岩仏が祀られたのはおそらくそれ以前(300年以上前)のことであろう。」 樋脇町教育委員会 |
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秋空 樋脇町市比野菖蒲ケ段から東を望む |
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