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中間石幢(せきどう) 大分市上志津留 「まんじゅう形の笠の裏書から、室町時代の応永6年(1399)10月22日に玄覚禅門など33人の人々が、六地蔵信仰にもとづいて建立したことがわかる石幢です。この信仰は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天という六道の苦界をめぐる運命にある人々を、六地蔵菩薩を信仰することで救うというものです。六地蔵は笠の下に置かれた龕の周りにも、童子像(1)、司禄像(1)と一緒に浮き彫りにされています。 石幢は、「幡」という旗から起こったとも、笠塔婆からへんかしたともいわれます。総高は227cm。基礎・幢身・中台・龕・笠・宝珠の順にのせられています。宝珠には四方に火炎の掘り込みがあります。笠裏に残る墨書から、長年月の風雨に耐える墨のすぐれた性質も知ることができます。」 大分市教育委員会 |
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| 石垣と倉庫 大分市志津留 各石 |
細長橋 犬飼町 大分市の田原橋のご主人から教えて頂いた橋です。 犬飼石仏から大野川沿いに南に進むと、左手に見えます。 現在は通行止めです |
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| 町石 三重町市場 町指定有形民族文化財 |
鬼塚歳神史跡 「この史跡には、三重町指定史跡の「町石」がある。丁(町)は、内山観音へ十一丁を示す里程標である。「願主 鬼塚村」と書いてあることから、内山観音に参詣する人々の便宜を図って鬼塚村人が建てたことがわかる。文化2年(1805)のことである。 その横には、日本中の有名な寺を祈願しながら回った豊前小倉(北九州市)の市兵衛が建てた日本回国塔がある。 文化4年(1807)のことである。 また、三重町で一番古い庚申塔がある。この塔には「庚申神 雌鳥雄鶏」と記してあり、慶安元年(1648)に建てられた県下でもたいへんめずらしい庚申塔である。 中央の石のやしろには薬師如来と弘法大師の石像がある。どちらも江戸時代の後期に造られたやしろである。薬師如来のほうには 一番 安楽寺 かりの世に知行あらそふむやくなり あんらくこくのしゅごをのぞめよ この世で地位を争うことは無益のことである。仏のまもりを願うことが大切であると刻んでいる。一番とは、内山三十三番札所のうちの最初の札所であろう。歌といい、札所といい、信仰上で価値のある史跡である。」 三重町教育委員会 鬼塚区 |
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