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宇賀神社 北諸県郡高崎町大字前田字上朝倉 「創建 式部維続が鎌倉初期に幕府命の収納吏で、丹波国から高崎郷に派遣されました。維続は朝倉村を領し、高崎城を築き居館しました。維続は丹波から奉載した宇賀の産土神祠を、右地に建立し郷土の総鎮守神として、社記に表しました。 由来 創建以来宇賀大明神社として近郷近在の崇敬者が多く、秋の例大祭日は参詣人達で大賑わいとなり、八百年も続きました。戦国末期秀吉の島津征討で、高原城主の上原長門守尚近が飫肥城主への派遣で、高崎・高原及び近郷の武士を引連れ出陣しました。この時飫肥の耕地が、宇賀神社に奉納されています。江戸期の高崎郷取立で、郷総鎮守大明神社になりました。鳥居前の仁王像は、江戸期に境内守護で造立されました。江戸期に宇上町口の龍虎山明寺幸樹院(真言宗)は、当社の別当寺でありました。」 |
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普通は阿形は向って右側に位置しますが、ここの場合は左側に位置します。 阿形のすぐ後ろには頭部が壊れた石像がありました。 多分これが吽形だと思われます。 だとすると↑は何でしょうか? |
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御池 |
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| 不動池 えびの高原 |
「霧島屋久国立公園霧島地域は、20余りの火山群や火口湖があり、不動池もそのうちの一つです。この池は深さ9.3m周囲70.0mで湖面は常にコバルト色を呈しています。これは火山のえいきょうを受けて水の酸性度が強いのと光の屈折による現象です。また、池の中やまわりがきれいな砂であるためにごらないからでもあります。」 環境省 宮崎県 |
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白鳥神社 えびの市 市指定 「創建年代は詳らかでないが、10世紀、性空上人が六観音堂で修業した際、神託を得て勧請したとの由緒がある。日本武尊外四神を祀り、また別当寺と号した。古くは白鳥権現と呼ばれ、軍神として歴代藩主の振興が篤かった。特に島津義弘の尊崇は厚く、木崎原合戦の勝利は一重に白鳥権現の加護によるものと社寺領143石を寄進したほどであった。 慶長6年(1601)から同10年(1605)にかけて社殿の造営があり、その後文化6年(1809)12月23日火災によって焼失したあと間もなく再建されたのが現存する本殿である。明治に至り別当寺は廃寺になったが、明治38年県社に昇格した。本殿には数多くの彫刻が施されており、特に雲竜巻柱や腰壁の壁板造り出しの唐獅子牡丹などは、本県や鹿児島県にしか見られない南九州に特徴的な細部装飾である。永年の風雨にさらされ雨漏りなどもひどく倒壊寸前であったため昭和61年5月〜11月改修委員会により部分的な改修が施された。」 えびの市教育委員会 |
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| 東麓石窟仏 西諸県郡野尻町 県指定史跡 |
「ほぼ円形をした高さ138.5cm、横幅185cmの石窟内岩壁に薬師如来(高さ63.2cm)、日光・月光菩薩(高さ42.5cm)、眷族の十二神将(高さ39〜44cm)を高浮き彫りにしたこの磨崖仏は、町内では「岩ん堂薬師さま」と呼ばれ、病気の平癒を願う人々が今もあとを絶えない。 この磨崖仏の制作年代は明確ではないが、薬師如来の頭部や薬つぼを持つ像から、鎌倉時代のものと推定されている。」 野尻町教育委員会 |
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霧島寺跡石塔石仏群 宮崎市生目地区 こんなところに仁王像があるとは知りませんでした。 大淀川右岸側の堤防の道路の下に何か見えましたので、引き返して確認したら仁王様でした。 |
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