石橋巡り
(2004年7月24日〜25日)

国東半島・道中で見たもの その4
(ゆずりは両面板碑・両子寺・野の塔)
その1 その2 その3 その5
その6 その7 その8 その9 その10



1.杵築市〜大田村〜豊後高田市 2.国東町 3.真玉町〜香々地町 4.国見町




裏面
ゆずりは両面板碑 東国東郡安岐町
県指定有形文化財

時代 鎌倉末期
総高161cm
碑身143.5cm
巾72.5cm
角閃石安山岩




両面板碑は当地方では珍しく前面中央上部にキリーク(弥陀)、少し下がって両脇にカ(地蔵)イー(地蔵)が、背面には釈迦を主尊とする種子が夫々刻まれている。
足曳山両子寺(あしびきさんふたごじ)
東国東郡安岐町大字両子

 「足曳山両子寺は養老二年(718)、仁聞菩薩の開基とされているが、創立年代については明らかではない。
 当寺院は、神仏混合の全国稀有の寺で、六郷満山の正宗分中山十カ寺の一つに数えられ、天台宗延暦寺派に属する。
 鎌倉時代には六郷満山の執行を出す寺院として、六郷満山の中心的寺院であったが、南北朝時代に入ると南北朝争乱にこの一帯も巻き込まれ、混乱状態が続いたようである。
 十六世紀には吉弘氏が寺領支配権を握り、両子寺も支配下にあったことが「大宰府管内志」などからうかがえる。しかし江戸時代になってからこの両子寺は、吉弘家滅亡などにより杵築侯の崇拝を受け、その保護のもと杵築藩の最高祈願所となり、以後六郷満山の惣録所として六郷満山を支配することになったのである。」

安岐町教育委員会

護摩堂



本堂へ向う道には、大きな一枚岩の桁橋が架かっており、仁王像がある。
この仁王像は国東半島でも最も古いといわれる。










両子寺仁王 
町指定有形文化財

 「石造仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、中でも国東半島には、130を越える仁王が確認されている。
 寺域や仏像、神社の守護を目的として造られた仁王像は、鎌倉時代から造られ始め、安土桃山時代に最盛期を迎える。しかし、江戸時代の後半になると仁王は村全体、個人の信仰の対象として造立、奉納されることが多くなる。
 両子寺の仁王は大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にもすぐれている。阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。吽形像右手は肩下掌を前に開き、左手は腰の位置で拳にする。両像とも腹をやや突出し、胸骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像である。
 銘はなく、寺の伝えによると、文化十一年(1814)の作といわれ、総高245cm(阿形・吽形)、像高230cm(阿形・吽形)石材は角閃安山岩である。」

安岐町教育委員会






国東塔(鎌倉期造立)
重要文化財

 「国東地方にある宝塔の一種で他の塔と区別する為、大正3年京大の天沼俊一博士によって命名された。建立の目的は 
一.納経(祈願)のため 
二.供養(追善)のため 
三.逆修(生前供養)のため 
四.墓標(墳墓の標として遺族や関係者が造立する)のため、
等に建立された。当山には大小七基の国東塔がある。
イ)基礎 ロ)台座 ハ)塔身 ニ)笠 ホ)相輪からなっている。塔身の肩の所に孔の開いたものがあり出家得度の際剃髪や納経を入れた。








茅葺屋根と野の塔



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