石橋巡り
(2004年7月18日)

4.道中で見たもの・その1
(霧島連山・享保井堰・八幡の田の神・大平落の田の神・紫尾田の田の神・大前時吉氏供養塔・佐志十三仏・屋地の石倉

その2




1.えびの市〜宮之城町‐1

2.宮之城町‐2

3.東郷町



早朝5時頃の霧島山

小林市粥餅田付近




享保水路井堰
国登録有形文化財

明治39年(昭初改修)
石造堰と石張の水叩からなる灌漑用水の取水施設。

今年国登録有形文化財に登録されました。享保水路橋から、川内川上流約4Kmのところに作られた取水施設です。


享保用水路の歴史
「本用水路は、川内川上流(旧飯野村大河平通称いいのフランス山上流約200m)に井堰を設け、飯野平野一帯の水田を潤す水路として、享保17年(1732年)に完成しました。
 伝説によれば、瑞山寺のある僧が水利計画を思い立ち、村民の総意を得て、私財を投じ、工事は実行にうつされたそうであります。総延長6,800m、幅21mの工事は、途中随道が5ヶ所もあり、当時は測量器具もなく、夜に提灯をあちこちに置いて土地の高低を測り、大変な苦労をして造ったといわれています。
 その後、災害を受けたり、古くなったため、昭和7〜10年と昭和54年〜60年にかけて、井堰と用水路の大改修が行なわれました。
 この水路の運ぶ水のおかげで、現在でも、「えびの」米で有名な米を中心にさまざまな作物が作られ、地域の発展に大きく役立っています。」

えびの市耕地課・宮崎県農村建設課





東原田八幡の田の神さあ

えびの市飯野東原田八幡




東原田・大平落(おでらおとし)の田の神さあ

えびの市飯野東原田大平落




桁橋 えびの市原田八幡

享保水路に架かっています




下流側から
紫尾田の田の神

横川町紫尾田




大前時吉氏供養塔

 「大前時吉氏は薩摩国国司源師之の流れをくむ本地方有史初頭の領主であり、虎居城や時吉城を築城し、薩摩国各地に名田時吉を領有した。
 この供養塔は、元禄十一年二月吉日(1698年)祖先供養のため、一族の手により建立された。
 碑文と伝承によると、
昔、暮から正月にかけて大きな戦があり一族の多くが戦に散った。
この人達を集めて荼毘にした所である。
 それから幾百年の星霜を経たが、時吉名の旧領は今に至るも、その遺跡を留むると雖も城下四壁悉く荒れ果てている。
 その末孫である大前途木吉氏一族の誠の心を捧げて供養塔を建立するとあります。
 この地方は昔も、今も伊佐街道第一の要所で特に藩政時代この場所に存在した碑の持つ意味は大である。」

 宮之城町教育委員会
 大前途木吉氏 末裔








佐志十三仏

宮之城町指定文化財



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