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| 先週から、どこへ行ってもこの花が満開です。 名前は分かりません。 |
オニユリも時季です |
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| 雨上がりの隼人町 天降川上流を望む |
蔵王岳(154m)を望む場所にあるこの像も田の神様でしょうか。 手に持っているのはシャモジみたいですが。 加治木町新富町 |
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田の神 「頭には甑のシキを被り、そのシキの編目が美しい。笑顔の目、鼻、口などが巧みに刻まれ、袖は襷で短くたくし上げられ、袴をつけ左手はシキを支え、右手はメシゲを膝の前に持って今にも踊りだすような田の神舞のひとこまでしょう。 石材は肌の粗い白質凝灰岩の二瀬戸石(加治木特産)で、天保年間(1830〜1843)ごろの石工名島喜六の作といわれています。」 加治木町教育委員会 |
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宮ケ浜港(石が守った人と舟・今に残る天保の灯台と防波堤) 「宮ケ浜港に約215mにわたって伸びる石畳の防波堤は、天保5(1834)年当時の藩主島津斉興公の命によって建設されたものです。それ以前は、大波や大風のたびに船が転覆するなどの被害を出していましたが、建設後は多くの船が安全に碇泊できるようになりました。そのため、指宿の村(現在の宮ケ浜)の市場は大いに賑わったとのことです。この防波堤による恩恵は、はかり知れないものでした。 平成2年度から港湾環境整備事業により、歴史的防波堤と灯篭を中心とした緑地整備がじっしされました。」 鹿児島県 |
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田の神石像 町指定有形文化財 「この神像は、明和8年(1771年)に成川下原の二才中が造立したものです。 220年をへて、シキをかむった表情が、かすかに偲ばれます。 短い上着にタスキをかけ、下は裁着け袴をつけています。右手には、小さなメシゲ、左手には、団子ふうの物をのせています。薩摩地方に多く見られる田仕事姿の田の神像です。おそらく、成川の開田事業をおこなった時の水田稲作の守護神として作られたものでしょう。 均整のとれた安定感のあるこの像は、古い田の神像の南限を示すものとして貴重なものです。」 山川町教育委員会 |
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| 開聞岳 番所鼻から |
伊能忠敬賞賛の番所鼻自然公園 「薩摩半島の最南端に位置し、開聞岳、また水平線はるかに屋久島、竹島、硫黄島、黒島等を眺望できる風光明媚な所です。 江戸時代、わが国最初の正確な実測地図を作った「伊能忠敬」が当地を訪れた際、この海岸から開聞岳を一望する景観を「けだし天下の絶景かな」と賞賛したという史実を記念して「伊能忠敬記念碑」が建立されています。」 頴娃町教育委員会 |
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| 開聞岳 瀬平自然公園から 歌碑が建っています 迫平まで我れを追ひ来りて松かげに 瓜を裂くなり頴娃の村をさ 与謝野鉄幹 片はしを迫平に置きて大海の 開聞が岳立てるなりけり 与謝野晶子 |
開聞岳 瀬平自然公園から |
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| 開聞岳 山川町浜児ケ水から | 開聞岳 頴娃町入野から 雲がかかっていなければ、ただの丘にしか見えません。 |
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