石橋巡り
(2004年7月3日)

3.道中で見たもの
(隼人の石倉・知覧茶畑・開聞岳・相之浦・耳原六地蔵塔・旧麓田の神・桜島)



1.隼人町〜知覧町

2.頴娃町〜喜入町



隼人町、国道10号線沿いにある石の倉
いつも通るたびに気になっていたので、立ち寄りました。




知覧町の茶畑 後岳南



開聞岳 
頴娃町鶴田付近の茶畑から




相之浦(東塩屋の海運業)
 「東シナ海に面し、硫黄島や遠く屋久島まで望め、河口を利用し陸地へ深く切れ込んだこの港は、相之浦・藍之浦・逢之浦・饗之浦などいくつかの表記を持つ江戸から明治にかけて会場交易で栄えた港です。
 わずか4Km余りの知覧町海岸には、古くから交易のあったことを示す史跡が多く残されています。港の岩をくり貫いて、もやい綱を結びつけるための「めくい」、13世紀からの貿易陶磁器の散布地、海運の繁栄を思わせる蔵の並ぶ町並み、交易船の往来を管理した浦役所跡、琉球から伝えられた石敢當、船から荷を揚げるために岩場を掘り下げた掘り割りなどがそうです。
 東塩屋で1月3日に歌われる「乗り初め歌」は、中世からの「御船歌」の影響がうかがえるとか、平安時代に僧俊寛が鬼界ケ島(現在の硫黄島)に流された逢之湊は、この湊ではないかという興味深い意見もあります。
東シナ海に面した西九州の海岸にはこの標識をよく見かけます。
相之浦から開聞岳を望む



耳原六地蔵塔
頴娃町別府耳原

 「この塔は、室町時代(戦国期)に造立されたものです。下から基礎、塔柱、中台、龕部、笠、宝珠の部分によって構成されており、中台と笠が十二角形であるところに特徴を持ちます。また、六地蔵が線刻で描かれているのも、まれに見る例です。
 残存する銘文の中に「頴娃群」の文字や銘文の筆者「自畊」(祐田和尚)の文字が確認でき、わが町の歴史資料として大変貴重なものです。」

頴娃町教育委員会









旧麓田の神 喜入町旧麓

元文一年(736)、天神の近くにあったと伝えられたものが何度か移設され、現在の地に移されたものである。この田の神の特徴は、柔和な顔と右手に飯杓、左手に摺小木を持ち、古い田の神の代表的な形をしている。
喜入町教育委員会





今日の桜島
噴煙を上げたので、急遽予定変更して港の方へ向いました。



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