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| 東下の田之神石像 鹿児島郡吉田町 「田之神は五穀豊穣の神である。 故寺師三千夫氏(大口市出身の民俗学者)からの手紙の一節に「東下の田之神像は立派なもので、今後とも大事にしていただきますようお願いします」とあった。 この像と同型のものが鵜木にありその石碑に「庄屋池田仙左衛門、前田喜八作、享保二一年(西暦1736年)丙辰」とあり、また、觸田の稲留神社のものが一年後の元文二年(西暦1737年)とあるので、これらが同じ傾向一作者によって作られたものと思われる。 これら三像のうちでは、この東下のものが一番の上作で、全く無傷で像も大きく、表情もおおらかで、立派な民俗資料として県内でも指折りの像だと言われている。」 吉田町教育委員会 |
大永期の勧請石碑 吉田町東佐多浦 大永二年(1522)の紀年をもつ念仏南無阿弥陀仏は東佐多浦般昌寺跡の墓地内に建っている。高さ約九十糎、幅五十糎足らずの自然石をみがいたものである。その銘文は中央上部の月輪中に種子(梵字)を刻し、南無阿弥陀仏の名号を配し左右にその趣旨を述べている。 それによれば 扶桑国海西路大隅州吉田院 夫意趣者念仏百万遍 本願佐多郷平氏勝重戒名月峰浄心居士 (以下略) これによって見れば佐多郷の平氏勝重なる者以下33名のものが語らい心からなる念仏百万遍の供養を行ない、その善根功徳によって死後後世の安楽を願わんことを誌している。 生前善根功徳を積むことは極楽浄土への道であり仏教の教えでもあった。これによって三国名勝図会の伝えるところによれば、「佐多浦村に阿弥陀堂あり、開基大檀那平氏勝重月峯浄心居士大永二年壬午三つき勧請と石碑に記せり」とある 吉田町教育委員会 |
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| 雨の中のカンナ 東市来町皆田東 |
皆田小前の田の神 東市来町皆田西 |
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| 皆田西の田の神 東市来町皆田西 |
笠ケ野の田の神 日置郡日吉町笠ケ野 |
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| 草見の棚田 日吉町草見 |
上から |
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吉利のカンナ 日吉町吉利 |
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