石橋巡り
(2005年3月26日)

3.道中で見たもの その2

その1



1.山鹿市〜黒木町〜八女市

2.上陽町〜星野村〜九重町〜湯布院町〜庄内町








小畑のアーチ橋 前津江村小畑

どうも石造アーチ橋ではないみたいです。






月隈公園の桁橋 日田市丸山

橋長:5.2m
橋幅:5.7m
2径間桁橋




日田林工高のすぐ近くです

岡崎様より
「月隈公園は江戸期には天領を支配した西国郡代(日田代官)の居城で永山城と呼ばれました。」


照妙寺参道橋 日田市大字三和

橋長:1.9m
橋幅:2.0m
4枚
単径間桁橋









清水町の桁橋 日田市大字三和

岡崎文雄様によりますと
旧養面寺橋、右手の橋が養面寺橋だそうです。


清流には鯉やアヒルが泳いでいます





瑞巌寺磨崖仏 九重町大字松木
大分県指定史跡

「この磨崖仏は向って右から
多聞天(1.70m)
矜褐羅童子(1.61m)
不動明王(2.26m)
制多迦童子(1.62m)
増長天(1.70m)
 の五体が半肉彫りされている。多聞天(北方の守護)は別名毘沙門天ともいい、持国天(東方)、増長天(南方)、広目天(西方)とともに四天王と呼ばれ須弥山の四方を守る天部として有名である。矜褐羅、制多迦童子は不動明王の眷属の八大童子中のニ童子である。制作年は鎌倉時代初期説と室町時代中期説があるがはっきりしない。瑞巌寺は養老年間(717〜723)に国東六郷満山を開基した仁聞の創建になると伝えられる。後に龍門寺の末寺十二坊の一つとなるが、天正十五年(1587)正月頃の大友・島津の戦いの折、兵火にかかり堂宇を焼失、廃寺になったと伝えられる。」

九重町教育委員会 



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