石橋巡り
(2005年1月15日)

1.水俣市

(新町石橋・坂口橋・冷水橋・境橋・隈迫石橋・大迫石橋)



2.津奈木町〜水俣市〜芦北町〜田浦町

3.八代市〜坂本村〜人吉市

4.道中で見たもの



新町石橋 水俣市陣内

橋長:4.0m
橋幅:3.0m
径間:3.5m
拱矢:
架設:文政8年(1825)頃




国道3号線水俣市役所前から南東、法務局方面の市道へ。350m先法務局からさらに150m先に小さな橋があります、そこから右手に見えます。
坂口橋 水俣市月浦坂口

橋長:5.3m
橋幅:2.7m
径間:
拱矢:H2.3m
架設:嘉永3年(1850)




水俣駅前から国道3号線を3Km南下。右カーブのところ、信号機から引き返すように左折。150m先右折、450m先左折、250m先左折、750m先左手にあります。(はぜのき館の400m南)
冷水(ひやすじ)橋 水俣市大字袋字冷水

橋長:6.8m
橋幅:3.4m
径間:4.8m
拱矢:1.9m
架設:嘉永年間(1848〜54)




坂口橋から国道3号線へ戻り、1.1Km南下。袋の信号ガソリンスタンドの先の細い道(袋バス停から100m北)へ引き返すように左折、200m先に架かっています。
境橋 水俣市大字袋字神川

境川
橋長:13.5m
橋幅:4.9m
径間:11.3m
拱矢:3.4m
架設:明治16年(1883)

国道3号線、水俣市・出水市境から120m南を左折、200m先JRの高架下に薩摩街道の標柱がありますので、線路に沿って北東へ130mの境川に架かっています。
(境橋の北詰にも道路がありますが、国道3号線のどの付近に出るのかは不明)


県境の太鼓橋
「肥薩国境の境川は小さな谷川であるが、古来この川をめぐって幾多の抗争が繰り返され、藩政時代には藩の安全と秘密を守るため堅く閉ざした国境の川であるが、僅かにこの地のみが両国交流の地点であった。この橋は明治16年に架けられた石造の太鼓橋で肥後の石工の卓越した技術を今に伝えている。
 頼山陽もこの川を渡り薩摩に入っており、次のような誌を作っている。「一澗平分南北州、乱沙深草両辺秋 曽無所唯渓水 幾股渓随意流」又高山彦九郎が寛政4年3月5日ここを越える時「爰迄も送る心や玉鉾の道を守りの人をしそ思う」と歌っている。
 この時代までは橋は架かっておらず飛石伝いに川を渡っていたようで、西南戦争後に架けられています。
 なお、頼山陽は夕方おそくなり野間の関所を通ることが出来ずに、神之川に引き返し一夜を神之川の農家に泊ったと書き残している。又、この肥薩街道は島津藩の参勤交代の主要な道路でもあり、維新の英傑、西郷隆盛、僧月照あるいは、幕府の巡使等多くの人々がここを通過している。」

水俣市教育委員会





隈迫眼鏡橋 水俣市初野

橋長:3.7m
橋幅:2.9m
径間:3.4m
拱矢:2.5m
架設:嘉永年間(1848〜54)




国道3号線、新水俣駅のすぐ北東に初野の信号機があります。そのすぐ西側にあります。
大迫眼鏡橋 水俣市大迫

橋長:3.5m
橋幅:1.6m
径間:1.8m
拱矢:1.15m
環厚:0.33m
架設:嘉永年間(1848〜54)



2.津奈木町〜水俣市〜芦北町〜田浦町へ
初野の信号機から北西、大迫方面へ。1.3Km先T字路を右折、約100m先谷川を横断しますが、100m上流に架かっています。