「この橋を常磐橋といい三代将軍家光の頃までは、大橋とも浅草口橋ともよばれました。 しかしその名はよくないので改名するよう、町年寄の奈良屋市右衛門に命ぜられました。 市右衛門は自宅に寄宿していた浪人に頼んで、橋の名を考えてもらい、常磐という名を献じました。「金葉集」の大夫典侍の歌に、「色かへぬ松によそへて東路の常磐のはしにかかる藤波」とあり、その歌の心を松平の姓にかけためでたい名です。なお常盤と常磐の文字のちがいがみられます。 橋詰に北町奉行所があったこともあります。 関東大震災後下流に常盤橋が架けられました。 現在の石橋は枡形に使っていた石を用いて、明治10(1877)に改架した都内随一の貴重な洋式石橋です。橋の銘板には常磐橋とあり城門の枡形の一部も現存しています。」 千代田区教育委員会 |