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下乗橋
2011.01.03

徳島市徳島町城内

橋長:17.0m
橋幅:3.4m
3径間桁橋




下乗橋(小見付橋)
「城内の堀に架けられた木製の太鼓橋で、殿様の住む御殿への正面出入口にあたります。この橋を渡ると桝形が設けられ石垣や門によって厳重に守られていました。下乗橋の名前は、橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことから由来しています。明治二年(1869)花崗岩製になり、さらに同四一年(1908)現在のように水平の橋に改造されました。」

徳島城
「徳島城は、天正13年(1585)に阿波国(17万6千石)の領主となった蜂須賀家政(1558〜1638)によって建設されました。築城にあたっては、天下人豊臣秀吉の命により伊予の小早川隆景や土佐の長宗我部元親、比叡山の僧侶が協力しました。
 徳島城は標高約61mの城山と北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城でした。徳島城の構造は、山上の本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸、南麓の御殿(一部は現徳島城博物館)、西麓には隠居した藩主等の住んだ西の丸からなる平山城でした。
 藩主が暮らしたのは、天守のある城山ではなく麓の御殿でした。御殿は藩主の居間や藩主が家臣たちを引見する広間(121.5畳)や大書院(110.5畳)のほか、重臣たちの詰めた部屋のあった『表』と藩主の側室・子どもとその身の回りの世話をした女中たちが住む『奥』に分かれていました。『奥』は藩主とその家族以外の男子は入ることができませんでした。
 藩主の居城として徳島藩のシンボルであった徳島城は、明治になると役目を終え、明治8年(1875)に解体され、現在では石垣や表御殿の庭園を残すだけとなりました。」
1年ぶりの訪問
左手が下乗橋、右奥が昨年訪ねた木製の数寄屋橋

東側

南側

西側

北側
千秋閣表御殿庭園は正月休み、またの機会に訪ねることにします