はりまや橋
2009.01.02

高知市はりまや町1丁目1




江戸期はりまや橋の由来
「藩政時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋と、富商柩屋(ひつや)が互いの往来のために架けた私橋が、後に“はりまや橋”と呼ばれるようになります。
当時は、簡素な木造りの橋でした。
 橋は、時代とともに幾度か架けかえられ、昭和33年には南国博覧会のため、朱色の欄干が登場します。
翌年、歌謡曲“南国土佐を後にして” がヒットしたことで、同名の映画が創られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が“はりまや橋”として、全国に知られるようになりました。
 ここに架かる木造りの橋は平成5年、全国から寄せられた680件の“はりまや橋に対する整備のイメージ”を素に、江戸期のはりまや橋として再現したものです。」
高知に来たからには、何はともあれはりまや橋

以前は“日本三大がっかり名所”の一つだったそうですが、平成5年にこの橋が再現されてからは“がっかり度”は下ったようです

明治時代に使われていたものを再利用した鋳鉄製の橋