四国村
民家のこころ
「むかし、四国は本州からまったく隔絶した島であった。八十八か所を廻る巡礼を遍路と呼んだのは“偏僻の道をめぐる”意味だった。未知で神秘のクニだった。山々には神仏が住み、天狗がはばたいていると恐れられた。住民は信心深く辛抱強い働きものだった。極貧に耐え身を粉にして働いた。
盆と正月と節句、それに春秋の祭礼のほかに休む日はなかった。粗衣粗食はいまの常識を超えたものだった。そのなかでただ若者の“性”だけが時に奔流した。その労苦が柱や壁にしみ込んでいるのがここに集められた民家である。
先人たちの“くらしの記念碑”内部はせまく、暗い。しかし頑丈な木組みとたくましい大黒柱がどっしりと屋根を支えている。茅茸は強い。一度葺けば五十年はもつ。しかも暑さ寒さをしのぎやすい。生活の知恵から、さまざまの工夫がみられるのは興味ぶかい。
このなかに祖父母から孫まで大家族が、より添って生活した。何がなくても、いろりを囲む一家のだんらんがあった。“貧しく哀しく、しかも美しく”先祖たちは生きてきた。
心はすさみ、感謝を忘れ、自然の恵みを感じない現代人。親子の断絶が問われる世相のなかに、民家は何を訴えようとしているのであろうか。
荒廃した現代に問う、民家のこころ如何。」
財団法人四国民家博物館
|