旧吉野家住宅
2009.01.03

香川県高松市屋島中町




四国村
民家のこころ
「むかし、四国は本州からまったく隔絶した島であった。八十八か所を廻る巡礼を遍路と呼んだのは“偏僻の道をめぐる”意味だった。未知で神秘のクニだった。山々には神仏が住み、天狗がはばたいていると恐れられた。住民は信心深く辛抱強い働きものだった。極貧に耐え身を粉にして働いた。
 盆と正月と節句、それに春秋の祭礼のほかに休む日はなかった。粗衣粗食はいまの常識を超えたものだった。そのなかでただ若者の“性”だけが時に奔流した。その労苦が柱や壁にしみ込んでいるのがここに集められた民家である。
 先人たちの“くらしの記念碑”内部はせまく、暗い。しかし頑丈な木組みとたくましい大黒柱がどっしりと屋根を支えている。茅茸は強い。一度葺けば五十年はもつ。しかも暑さ寒さをしのぎやすい。生活の知恵から、さまざまの工夫がみられるのは興味ぶかい。
 このなかに祖父母から孫まで大家族が、より添って生活した。何がなくても、いろりを囲む一家のだんらんがあった。“貧しく哀しく、しかも美しく”先祖たちは生きてきた。
 心はすさみ、感謝を忘れ、自然の恵みを感じない現代人。親子の断絶が問われる世相のなかに、民家は何を訴えようとしているのであろうか。
 荒廃した現代に問う、民家のこころ如何。」

財団法人四国民家博物館

旧吉野家住宅(漁師の家)
高松市指定形文化財
吉野佐代太氏寄贈
「伊座利地区は太平洋に面し、断崖の下に孤立した集落であった。
 この家は切妻造本瓦葺十二坪。軸組などの部材はすべて手斧で削られ梁と大里柱は特に頑丈に造られている。
 土間はせまく、上り端の床は漁で濡れた着物や道具の雫を落とすため竹のすのこ張り。周囲の石垣は強風を防ぐ役目をしている。これらは生活の中から生れた、この地区の漁師の家の特徴である。
 昔、この付近に鰤の大敷網があった。よそから網元が進出してきて大漁が続いた。大枚の金を持ち帰るのを見て、地元の漁師が奮起した。借金をして大綱を張った。ところが不運にも、この年から不漁つづきとあって、大損をした。他の地区では、みな住宅の改築をしたのに、ここだけは昔のままの漁師の家が残り、いまは貴重な文化財となった。」
入村券売り場を過ぎ、流れ坂を上ると右側にあります

内部