久米通賢先生旧宅
2009.01.03

香川県高松市屋島中町




久米通賢先生旧宅
久米 美代江氏 寄贈
「江戸時代から、讃岐は塩どころとして知られていた。全国の塩の生産量の半分近くを占めていたのが、坂出塩田だった。その基盤をつくったのが、久米通賢である。
 彼は通称、栄左衛門。安永三年(1774)、東讃岐の引田町馬宿で生れた。測量術にすぐれ、軍船、大砲、撃発式鉄砲ピストルから扇風機まで発明した。藩に登用されたのち、坂出塩田を大規模なものに開発した功績は大きい。
 この主屋は通賢が建てたもので、寄棟造茅葺、下家桟瓦葺二十四坪(移築前)。主屋の解体に当って天井裏から、測量器具、大砲の鋳型などが発見された。土蔵細工場などは全壊していたが、通賢の名を残すため関係者の了承をいただき、休憩所として新しく改造再建した。
 平賀源内とともに、讃岐を代表する江戸時代の科学者の住宅が残っているのは興味深い。」
旧中石家から東へ上ったところ