5,210
香風園西橋
2010.05.04

坂出市本町1丁目

橋長:2.7m
橋幅:3.0m
単径間円弧桁橋




香風園の由来
「香風園の由来は古く、坂出市が生んだ実業界、政界の重鎮鎌田勝太郎氏(淡翁)が明治四十一年より四十三年にかけ、南方に聳える名峰飯野山(讃岐富士)、笠山、角山等を借景に取り入れ鎌田家別邸として築庭された。
築庭の設計者は、宮内庁庭園技師市川之雄と東京大学本郷高徳の両氏によるものであり、施工にあたっては、一木一石にいたるまで施主淡翁の思いが名工岡田伊三郎によって形造られた。
 園の構成は、西部域に池泉廻遊式の日本庭園、東部域は芝生広場を中心とした洋風庭園にまとめられた。日本庭園は変化に富む汀線を持った池泉に豪快な中島を配し、汀の石組は荒磯の景に見立てつつ、中島に架かる橋は庭園のどの位置からも実に優美な姿を見せるなど多くの大名庭園をも凌ぐものであった。
 一方、築山とその外周域には見事な自然形仕立てのクロマツとウバメガシが適材適所に植栽され、木々の間には雄大な滝が落ちていた。
 時代も移り、昭和三十年二月、この香風園を鎌田家より坂出市が買受け、児童公園として、また街なかの公園として広く市民に開放されることとなった。その後、平成元年着工の鉄道高架事業に伴い、公園の南側一帯が市道坂出宇多津線の道路敷地として利用されることとなり、築庭当時の姿は大きく様変わりした。
 市では、坂出駅周辺主要プロジェクト事業の一環として、平成十一年度から二か年をかけ香風園を築庭当時の名園に復元し、市街地中心部の公園として広く市民に利用頂けるよう大規模な修復工事を行うこととした。
 特に園西部域の日本庭園では南側一帯の汀石及び滝組の復元、併せて西門や庭園、枝折戸、休憩所、露地、園路の新設、築山の大滝の修復、遣水の開設と石橋の架設そして、翠松閣前に芝生の広庭開設などを行なう一方、園東部域には、洋風庭園を考え芝生と花木、花壇を中心とした芝生広場とし、園路並びに要所要所東屋、ベンチ、水飲み場など便益施設を設置した。
 この園は和風と洋風の庭を併設した実に優れた地割りであり、日本庭園は池泉を廻遊しながら一歩一景を楽しむ事が出来、なかでも茅葺きの時雨亭と茶亭からの眺めは昔時の借景は見られないものの、茶亭の目前には所々に配置された、雪見灯籠、手水鉢、池に浮かぶ見事な亀石、反りをもった土橋、雄大な滝の水落ち、趣きのある見事な景石、池泉の汀石、庭園の一木一石にいたるまで築庭当時の景を可能な限り復元整備したものである。」

西暦2001年3月吉日
坂出市
5ヶ月ぶりの訪問、前回11月22日は雨の為素通り、翌23日は朝が早すぎて閉まっていました

門をくぐり、左手に架かっています

南側から

北側

池には土橋も架かっています