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田潮八幡宮境内社前橋
2009.11.23

丸亀市土器町東

橋長:2.0m
橋幅:2.1m
単径間桁橋




田潮八幡神社由来
「田潮八幡神社は、古くより鵜足郡津郷の土産神として応神天皇を祭り、青野山西麓に鎮座、土器八幡宮と崇められてきた。
 南北朝時代、貞治元年(1362)7月、細川頼之が将軍足利義詮の命により、細川清氏を松山郷高屋の城に攻めたとき、出陣に際し当八幡宮に戦勝を祈願した。清氏の西長尾・中院源少将雅平に対しては陽動作戦を以て戦い、清氏を高屋の西林田の地に討ち取ったことは、太平記に詳述してある。
 全讃史には、はじめ源少将が攻めてきたとき、頼之はしばらく当社付近へ退却したが、社前の水田地帯一面に潮が満ち、敵軍を防いだので、田潮八幡宮と称したと伝えている。
 また、讃岐国名勝図会によれば頼之は宇多津の舘に凱旋ののち、社領を寄進し、祝勝の松を手植えしたが、栄えて数十歩の笠松となり、掛引の松、陰陽和合の松と呼ばれて、世に親しまれたという。境内には今に頼之松の石碑があり、往事を偲ばせる。」

当社氏子中
参道左側、境内社前に架かっています
奥は随身門

正面

随身門手前に高欄が見えています

高欄、親柱のみ残されています