高憧(こうどう)神社の由緒
「貞観年間の創祀という。社伝によれば、貞観年間多度の人、正六位上左少史讃岐朝臣時雄、往古大神を迎え祀りて高憧大明神と称す。その後荒廃して原野に御霊石の円き石相残れり。
西行法師巡錫の途、この地に来り、御霊石の円石を見て里人に尋ぬるに、往古四社を祀り高憧大明神と称する由、と答ふ。西行、乃、この神は本朝和歌の太祖子安の神なり、とて社辺に小松三本を植えて奉る。後年大木となり西行三本松の称ありといへり。
今は枯損じて僅かに五尺余の古木二株を残せり。安永二年国司 中納言藤原家成再建あり。家成の後裔、福崎宗賢社殿を造営せりと云ふ。」 |