水主神社
「弥生時代後期、女王卑弥乎の死後、再び争乱が繰り返され、水主神社の祭神倭迹々日百襲姫命は、この争乱を避けて、この地に来られたと伝えられています。
姫は未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを助けたといわれています。
境内は県の自然環境保全地域に指定され、付近からは縄文時代の石器、弥生・古墳時代の土器が多数発見され、山上には姫の御陵といわれる古墳もあり、宝蔵庫には多くの文化財が納められています。社殿はすべて春日造りで統一されており、社領を示す立石は大内・白鳥町内に今も残っています。
與田寺へ向う途中の弘海寺付近には昔有名な『石風呂』があり、宿屋が栄え、『チンチン同しに髪結うて、水主のお寺へ参らんか』と、こどもたちが歌ったほどにぎやかな土地でありました。」
昭和六十一年三月 香川県 |