天赦園
2011.10.09

宇和島市天赦公園




国指定 名勝 天赦園
「当園は宇和島城の西南部に接する旧浜御殿の一部である。
 第七代宇和島藩主伊達宗紀(号春山)退隠の居所として文久二年潜淵館を建築し翌年、造園の工を起して三年の歳月を経て慶応二年(1866)に築造されたものである。
 園名は初代藩主伊達秀宗の父伊達政宗(仙台藩主)の酔余口号と題した漢詩
 馬上少年過 馬上に少年過ぐ
 世平白髪多 世は平かにして白髪多し
 残躯天所赦 残躯は天の赦す所
 不楽是如何 楽しまずして是如何んせんの一節による。
 庭園の地割の主体は広い池で、岬、入江、曲浦など屈曲の多い汀線で囲まれ池心に一小島を配し池辺の護岸の重厚な石組には多くの和泉砂岩の海石を用い園の周囲は、マツ、クス、カシ等の常緑樹によって外部を遮蔽し園内には各種の暖温帯性樹木が多数植栽されている。特に家系並びに家紋に因んだフジとタケは種類がく独特の風致をつくり出している。
 作庭の年代は比較的新しいが意匠技法に見るベきものがあり、この種回遊式庭園として優秀なものである。」

昭和四十三年五月二十日 名勝指定
伊達家
せっかくですから天赦園(てんしゃえん)を見学、入場料大人300円

奥の建物は潜渕館

潜渕館
「明心楼の附属建物として建てられた書院式茶室で、春山が茶道を楽しんだ所である。その茶庭には顕著な陰陽石が配され、春山の子孫繁栄を願う想いが見て取れる。また、当建物は大正11年昭和天皇が皇太子の時天赦園御成の際御座所にあてられた。」

春雨亭
「愛書家としても有名な春山は、余生を楽しみながらこの書房で書道を研鑽し、数多くの貴重な書を残した。
 春山はここで穏やかな時を過ごしながら書道を愛し、明治22年、百歳の天寿をまっとうした。また、この春雨亭は釘が使用されていない構造の、貴重な建物である。」

白藤太鼓橋