山田薬師の由来
「奈良時代の初め天平(736)僧行基法師が極山の洞窟にこもり経を唱えて般若(智恵)の力を込めてつくられた等身大の座像がある。慶長年代当時の郡主三好春貞公は家来百名余総動員して薬師谷の周辺を切り拓き田畑を造り耕作に力を入れた。
堂所山頂(593m)にお堂建立し像を奉安した(739年)。そこで諸病平癒、五穀豊穣雨乞等の祈願を行い民衆の飢えを病を救った。境内に常夜灯を設置し遠く沖を行く舟の目印として漁師たちの航海安全を願った。山田薬師寺は平安朝時代(1073)白河天皇の信仰厚く出雲の一畑薬師、築後(久留米)の永勝寺とともに日本三大薬師となり勅願数度におよんだ。江戸時代には宇和島藩伊達公の勅願寺となり山号を『宝鏡山』から潮光山と称し笹に雀の家紋も許され今日に至る」
山田薬師保存会 |