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道後公園湯釜薬師前橋
2015.12.31

松山市道後公園

橋長:2.8m
橋幅:3.4m
単径間桁橋




道後公園
「道後公園は全体で約8.6ヘクタールあり、外堀を含め南北約350m、東西約300mで、中央部は海抜約70m(比高約30m)の橋梁部となっています。
外周は外堀で囲まれ、丘陵を取り巻くように内堀があります。
明治19年に設置された道後植物園を前身とし、明治21年に県立道後公園となりました。
昭和62年の道後動物園移転に伴い、昭和63年から発掘調査を実施したところ、湯築城の遺構や遺物が多く出土しました。
12年間におよぶ発掘調査によって、遺構として、道路、礎石建物、土塀などが検出され、遺物として、土師質土器、輸入陶磁器などの土器類や武具、建築用具の金属製品など約25万点が出土しています。
湯築城跡の遺構は、全国的にみても、中世守護の城館としてまれに見る良好な状態で残っており、極めて貴重な遺跡であることが明かになりました。
この遺跡を保存・活用するため、復元区域では、武家屋敷や土塁などの復元、出土遺物・遺構の公開を行っており、散策・休憩しながら楽しく歴史を学べる場としております。」
湯釜薬師前に架かっています

東側

西側

北側

石造湯釜一基
「湯釜は、浴槽内の温泉の湧出口に設置するもので、これは現在の道後温泉本館ができた明治27(1894)年まで使用されていたものである。
 直径166.7cm、高さ157.6cm、花崗岩製である。奈良時代の天平勝宝年間(749〜757)につくられたと伝えられる。
 湯釜上部に置かれた宝珠の『南無阿弥陀仏』の六字名号は、河野通有の依頼により一遍上人が刻んだものといわれている。
 湯釜本体に刻まれた温泉の効験に関する文は、天徳寺の徳応禅師の撰文になるもので、享禄四(1531)年、河野通直が石工を尾道から招いて刻ませたものである。」

松山市教育委員会