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湊浦八幡神社神橋
2013.05.04

西宇和郡伊方町湊浦

径間:4.8m
橋幅:5.5m
桁厚:27p
桁10列
単径間桁橋
架設:大正14年




八幡神社(世行八幡宮)
「由緒
神社明細帳によれば、清和天皇御宇貞観十四年(872)十一月十六日勧請し、その後文和元年(1352)八月十五日初めて神幸を営み、それから春秋二回の祭祀が営まれるようになった。また明治維新後西宇和郡伊方浦、九町浦、二見浦の郷社となった。
 古文書には我等先祖諸国を軽せし時、豊前の国に至りて八幡宮を信心す。神は人の正直をあわれみ請願心のままに成就す。亦或時神前にむかひて申さく、願はくば我住国に遷り給ひ万民の願ひを叶え給へと礼拝し奉り立帰へり宮農麓平沼兵衛と云う者の方に宿りける。
 その夜の霊夢に我明後日は山城国男山に行く、其の方是より生国へかえり我を祈り神となさば願い叶ふべしと、かけまくも有がたくも恐れ多き御事なりけり。さてこそ帰郷し伊方浦に勧請す頃に貞観十四年壬辰一月十六日、二間四面に宮作り信心す。
 夫より後、文和元年壬辰八月十五日駿河国より八右衛門と申す者来り申せしとぞ、或時安芸の国農漁船来り盗み取帰る所、二丁ばかり押し出し三崎の沖にて沈み、今に碆となり、有事神明の誠也。
 神輿の沈みし場所は二説あり。佐田岬半島突端で、黄金碆といわれ、又一説には佐瀬部(のちの湊浦白崎沖)で、その沈みし所を今も神輿瀬とよばれている。」
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道路の立体交差

神橋 大正十四年

桁10列の斜橋です

北東側

上部

拝殿