大鳥神社 由緒
「社伝によれば、陽成天皇元慶六年(1882)平安初期に伊賀国阿拝郡川合郷篠山嶽より大字大原中に勧請されその後この地に移し祀られ、その当時は比叡山延暦寺の別坊が三十六院あったといわれ大原山川合寺と称され祭礼は坂本の日吉神社に準じられていたと伝えられているが大原祇園は、神輿渡御に用いる祭具千枚張に記されているとおり応永二十二年(1415)に始まったといわれている。
又織豊時代に入っては社号を川合祇園社とも大原谷の祇園社とも称し牛頭大明神川合者牛頭天王といわれ現在でも氏子の人々が(てんのんさん)と呼ばれ親しまれている。
後陽成天皇文禄四年(1595)当社の花奪神事に豊臣秀吉よりお墨付きをいただいたと伝えられている。
元禄二年(1689)第五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院より永世山年貢五石八斗えお当社の修繕料として寄附された、明治元年令達により旧大原ノ荘の大の字と鳥居野村の鳥の字を合わせて大鳥神社と改称、明治九年十月村社になり、明治十八年二月に郷社に、明治四十一年四月神餞幣帛料の供進の神社に指定されました。後柏原天皇大永元年(1521)二月拝殿が改築されまた境内に架る石造太鼓橋は、延享元年(1744)の架設で石工は京都の杉本文右衛門の作であります。
また旧大原村九ヶ宇内に祀られていた神々は大正元年に合祀され、大正五年四月本殿をのこし拝殿と楼門、回廊、社務所等を焼失、大正九年に氏子総意の力によって復興し産土神として崇敬され現在に至っています。」
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