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大石天満宮眼鏡橋

2007.09.09

伊万里市二里町八谷搦

橋長:3.27m
橋幅:1.33m
径間:2.5m
拱矢:0.81m
環厚:27cm
架設:大正9年




大石天満宮
「大石天満宮の名称の由来には、二つの仮説がある。一つは、大きな石(岩)があったので、その地形(現状)を名称とした説、もう一つは、伊万里市土井町の薬種商、藤田家が播州赤穂城城代家老、大石良雄の子として生まれながら、生涯を不運で終えた大石良知と天満宮信仰を重ね併せて、自分からの土地に石岡を建立し、その石岡を大石天満宮とした説がある。
 大石天満宮の創建は確証たる資料はなく、神殿の石岡に寛政九年(1797年)一月吉日の筆跡がある。八谷溺干拓築造が完成し、佐賀藩が正式に完成を認めたのが、天明五年(1785年)で石岡の筆跡から推測して、この時期に創建されたものと考えられる。
 祭神は菅原道真。境内には多数の石造物などがある。砂岩で風化が著しく献納年代不明の明神鳥居、大正九年九月(1920年)に八谷溺住人八名によって献納された、神水池に架る太鼓橋、境内の周囲を張りめぐらす石塀が、大正五年六月八谷溺住人吉永儀八氏から献納されている。その他、境内西側隅には、大正元年九月吉永儀八氏奉納の弘法大師像、左右に馬頭観音、十一面観音像が安置されている。その隣に昭和二十一年頃に安置された不動明王を始め十三仏像堂、文化十年寄進の稲荷大明神のほか諸神が安置、境内中央に樹齢一五〇年以上の大銀杏樹左右二株が繁る。また、参道入口には、文化八年(1811年)七月二十五日、隣接している伊万里市溺町から建立奉納された明神鳥居がある。
 平成十四年三月、境内に設置されていた八谷溺公民館の解体により、境内の整備と神殿及び拝殿の補修、神水池改修、天満宮祭礼を行う参集殿を建設し、氏子の心の拠り所として利用されている。」
世戸さんの情報です
石橋探訪2日目はここからスタート

砂岩で造られた明神鳥居の右奥に見えています

側面

輪石には突起をつけた、手の込んだ加工がされています

案内板には「大正九年九月(1920年)に八谷溺住人八名によって献納された」と記されていますが、親柱には二月と刻まれています

内部

上部
以上 2007.09.09撮影


5年7ヶ月ぶりの訪問

今回も迷いました

南東側

北西側

上部
以上 2013.04.28撮影